見たいのはロックショーが叶う日
2009年、5月2日
この世から最高のロックンロール・スターが旅立ちました。それが【忌野清志郎】本名:栗原清志だ。
今年もたまらん坂には彼の多くのリスナーが集まっていて没後15年が経った今でも根強い人気がある事が伺える。 お墓参りに手を合わせに行く芸能人も多いだろう。
私の父は、清志郎のRCサクセションの大ファンだった。 それは今も変わらぬ事実だ。
好きになってからもう40年をゆうに越えたであろう。こうして息子の私に、そして孫にと美しい連鎖を産むのだ。
清志郎が亡くなって間もない頃、メディアは追悼とし様々な追跡を辿る番組や特集が組まれていた。
父はそれを見ていた記憶がない。
当時は現実から目を背けていた様に私には映っていた。
清志郎の死から数年経った時に、父がポロッと言った
「皆、死んでから取り上げるんだよ」という言葉が突き刺さった。長年のファンからすると、当然没後に
「デイ・ドリーム・ビリーバー」がCMソングに選ばれお茶の間に浸透して、沢山のコンピ盤が出たりとか。
清志郎が生前、発言された言葉や行動が話題になったりと取り上げられる事が嬉しい反面、「ずっと前からやってるし言ってた事じゃん!?」「まだまだ良い曲があるのに何を今更?」とつい反抗的に思ってしまうと言った。
その気持ちは分からなくもないし、同じ思いに至ったリスナーも多くいるであろう。これは古参ぶってる訳ではなくて真っ当な思いだと思う。
複雑な思いを抱えながら、父に伝えた。
亡くなってから、それでも尚、皆の心にいるから
陽の目を浴びるんだ。これがどんだけ素敵な事か。
忘れられたら寂しいぞ。
人間何が怖いって忘れられる事が1番怖いんだから。
これを伝えてから父は、もやが晴れた様に
テレビに映る清志郎を、雑誌に映る清志郎を
昔と今をレイドバックさせながら見ています。
そして今日、ロックンロールスターが登場します。
素直に「嬉しい」と父も言っていて
なんだかこちらも嬉しかった。
オンエアありがとうございます。
テレビ局のプロデューサー!
きっと、父も瞬きを忘れるほど食い入って見るだろう。 明日の仕事を忘れた様に。
※何が正しくて、間違いなのかというお話ではありません。あくまでも親子の原体験という訳です
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?