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作詞は雰囲気と語彙力

みなさんお早うございます、今日は、今晩は。
今日はこの記事を目に留めて読まれて下さっている方へ向けて、作詞やボーカルの必要性などについて少しお話してみたいと思います。

私は基本的に歌詞に意味は無いと最近思っていて、インストゥルメンタルの状態でも充分心を打たれる事はよくあります。

じゃあ歌や歌詞が無かったとしてもそれでも必ず表現出来るのかと言われたら、それはハッキリ申し上げてボーカルであり歌詞やメロディライン(そこには計り知れない意味やパッションが込められている)単体の表現自体には単体として聴いた時に少しインパクトに欠ける物だったりその歌詞の内容が言わんとしている事が全く耳に入ってこない曲も結構見受けられます。

でもその単体ではイマイチだったボーカルラインがトラックに乗る事で、逆に思いもよらない奇妙なアンサンブル効果で本来の歌詞が持つ以上の良い物に仕上がり、全体として非常にまとまりが出る場合も往々にしてありますので、まるっきり否定している訳ではないのです。

ただ、歌詞がそのままストレートに耳に入って来る時ってそんなにないのかなっていうのが私の個人的な感覚ではありますが、それは時に曲調や歌い方、ボーカルのメロディラインやアクセントなどによってはグイッと入り込んで来る場合もあります。

その場合一気にボーカルの音源に集中して聴かせる何かが必ず存在する訳で、それはもちろん曲調の雰囲気やイントロからの流れをスムーズに繋ぐAメロの秀逸な箇所だったり、Bメロでしっかりサビに向けての普遍的で確実性のある道筋が出来ている様なトラックの全体像だったりして、その要素だけでボーカルが生きて皆さんの耳に刺さってくるという事は、要するにボーカルを聴かせるための雰囲気作りであり下地、サポートがとても重要なのだと解釈しております。

音楽理論で解説しろと言われても私にはその語彙力も知識もありませんので上手く説明出来兼ねますが、言葉が持つ力やそのパワーを増幅する他の楽器によるサポートや曲の構成がボーカルを存分にパフォーマンスさせる曲であり、その曲にはその緻密な計算が確かにそこに存在していると感じています。

そういったボーカルラインが映えている曲というのは私の持論ですが、おそらくボーカルが1つの楽器や音源として曲全体の中の役割を果たしているからだと思うのです。

喉は楽器なんていう言葉をたまに聞きますが、これは私の中では正にそうで、人間の生身の声なのでそこの認識がどうしても理解というか納得出来ていない方がかなり多くいらっしゃる印象ですが、全くそんな事はないと認識しております。

喉で空気を震わせる、所謂いわゆる発声するという事なのですが、この空気の振動、つまり周波数帯の変動ですね、この発声による周波数帯の振動が物理的に聴覚を通して脳が心地良さであったり不快感を生む訳でして、即ちすなわちここが最も重要なポイントなのだと想像いたします。

まとめますと、ボーカルは必ずしも必要では無いという事。
そしてインストゥルメンタルという所謂いわゆるトラックだけの状態でも何ら問題は無く、昔からオーケストラやジャズ、ブルース、フュージョンなど、ボーカルが入っていないトラックだけでも充分に私達の耳をたのしませてくれる効果があるが、ボーカルとメロディの構成やバランスをfeatureする事によっては絶大な効果と化学反応を起こし、私達の耳が幸せになるという事を今一度再確認したく、この記事を皆さんとシェア出来ればいいなと思い、今回このテーマについて記事を書かせていただきました。

という事で今回はここまでで終わりです。

ここまでお読みくださって誠にありがとうございます。
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それではまた次の記事でお会いしましょう。

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