100日後に30歳になる日記(13)

◆4月23日

 そろそろランニングを日課にするかと思って、朝、走った。四時ごろ。さすがに人気もなく、寝ぐせ頭のままでも平気だった。とりあえずは近所を縫うように一キロ足らず。しかし思いのほか、息が切れる。走るってこんなに息苦しかったっけ。タバコか。タバコのせいか。
 私の通っていた高校は年に一度、10月頭に、男子は半日で72km走らされる行事があった。要所要所に休憩ポイントがあり、定められた門限内にそこを通過しないとリタイア扱いになって、後から来る教職員の車で強制送還される。私は高校三年生の時にはじめて72kmを走れた。前二年は50か60かそのあたりでもういいやと匙を投げていたのだけれども、せめて一回は走りとおそうと頑張ったらいけた。
 毎年、だれかと一緒に走っていた。高三のときに一緒だったのは、下橋という男子だった。大して仲はよくないしクラスも文系理系で違ったが、おなじ電車通学組で、駅の待合で顔を合わせれば二言三言会話する、その程度の関係。共通点といえばおたがい友だちらしい友だちがいなかったことくらいだろうか。私が序盤のほうの休憩ポイントにたどり着いたときに、下橋はそこで休んでいた。
「なぁ、いっしょに行かねえか?」
 そう下橋に誘われて、私は肯った。そこからぽつりぽつり駄弁りながら走る。模試の結果とか、クラスメイトのうわさ話だとか。けれど会話があるのは40kmあたりまでで、そこからは無言になる。長距離マラソンをしたことのある人間ならわかるだろうが文字通り足が棒になる。話す気力なんて湧かない。息継ぎで必死なのだ。陸でおぼれる気分になる。これが体育会系の人間なら違うのかもしれないが私も下橋も今でいう陰キャだから、余裕なんてものはどちらもない。55kmとかそのあたりの休憩スペースで水分を取って、また走り出す。
 しばらくしてから、下橋が言った。
「次のところでリタイアしようぜ」
 下橋は歩みを止めた。私はその数歩先で立ち止まって、振り返った。
「いや、ここまで来たんだからさ」
「俺もう無理だよ」
「いけるって」
「無理」
 間。
「俺は行くよ」
 言い残して、私は走り出した。走り出した、なんていっても、それは不器用な走り方だったに違いない。しいて後ろを見ないようにしながら、木々に囲まれた一本道をひたすら前進した。60kmの休憩地点に着いて、私は改めて後方を見やった。下橋の姿はどこにもない。私は振り切るようにまた進んだ。
 65kmあたりから人家らしいものが見えるようになって、もう少し進むと、勝手知ったる街並みを眺められた。見慣れた風景に出くわすと力が湧くのが不思議だった。私はゴール地点に到達した。期待していたほど達成感はなかった。今すぐ横になって眠れればいいとそれだけ願っていた。学年では50位ですとかなんとか、言ってくる教職員がいた。うるせえ、静かにしてくれ。俺は疲れてるんだ。捨て鉢な気持ちだけがあった。
 その翌日からの三連休は、毎年のことだが、寝たきりで過ごした。トイレに行くのも難儀する。

 12月になるかならないかの時期に、私は、別の電車通学勢から、下橋が不登校になったという話を聞いた。クラスでいじめられていたようだった。高三の受験シーズンになってそんな不登校なんて馬鹿なこと、と思ったけれども、たしかに最近は登下校で下橋の姿を目にしなかった。私もマラソン以来気まずくて、しいて下橋と出くわさないようにしていた。なんでいじめられたのと訊く。当時に流行っていたガラケーのブログサイトで、同級生のコメント欄を荒らしたから、みたいな返事があった。ばかばかしいと思った。今も思っている。まったく、やりきれない。

 卒業式に下橋の姿はなかった。

◆4月24日

 朝、起きたら、足が筋肉痛。無理しちゃいけないね。走るのをやめた。

◆4月25日

 雨天。走らず。

◆4月26日

 今さら走るのもキリが悪いから五月から再開しようと思った。一日しか走ってないから三日坊主ではない。セーフ。

◆4月27日

 私の愛飲している煙草が5月に終売するらしい。ホープのメンソール。この世界でいちばんおいしい煙草が、なくなる。

 煙草の話。
 吸い始めたのは大学生のころだった。あれこれと手を出してみて、私はゴールデンバットを好んだ。

 中原中也という詩人の詩にも登場する由緒正しい煙草で、当時は両切りだった。両切りというのはフィルターがない煙草の意。じかに煙を吸えるので味わいが深くなる。しかしそれがいつからかフィルター付きになってしまった。しかも箱のデザインも一新されて、名前だけ据え置きの別物になり果ててしまった。次にechoを吸った。私の母方の祖父が愛飲していた。普通の煙草より安価で、多少の臭みはあるけれど、私の記憶にあまりない祖父と繋がれた気がして、好んで吸った。しかしそんなechoも2019年に味を変えた。箱のイラストも変えた。おじいちゃんの吸っていたechoでは最早なかった。次の煙草を探した。そうしてHOPEのメンソールにたどり着いた。無印HOPEも悪くなかったけれども、一人で飲みながら吸うには少し重たい。それにHOPEメンソールはどこのコンビニでも取り扱っているわけではなかった。あまりメジャーじゃないらしい。そこでつい逆張りしたがる癖が出て、ためしにと吸ってみたところ、ふつうのメンソール煙草のような軽さはなくて、どっしりとした香りの中に感ぜられる一抹の涼しさ、これが気に入った。私がおじいちゃんの仏壇にechoを奉げているように、私の仏壇にもHOPEメンソールを並べてほしいと思った。以来、五年吸った。
 それが、なくなる。私はとても悲しい。もはやパートナーと呼んで差し支えない銘柄だった。愛着は海より深い。半身をもがれた気分だ。

 喫煙者は、今の世において日に日に少なくなっている。喫煙所もコロナでほとんど絶えた。喫煙者よりも嫌煙家のほうがたぶん何なら多い。気持ちはわかる。喫煙者は歩きたばこをする。仕事の合間にもタバコ休憩といって席を外す。副流煙は健康に悪い。そうだな。そうだ。正しい。ぐうの音もでない。タバコを吸う人にあってもたやすく電子タバコに転向する輩がいる。
そういう世相だ。健康第一。そうだな。俺だって健康のために毎朝ランニングをしようと決意している。気持ちはわかる。わかるよ。わかるけれども。

 私は早く死にたいのだ。

 死のうと思って煙草を始めた。酒も同じだ。最初は言われた。吸い始めた当初。タバコを吸っていると、ふかしてるだけじゃんと。タバコは肺で吸わなきゃだめだよ。何を言っているのかわからなかった。後になってためしに深呼吸するみたいにタバコを吸った。一気にむせた。涙が出てきた。安酒を好んで飲んでいた。これおいしいよと人に勧めたら言われた。これ料理酒のワインじゃん。ちゃんとした酒を飲めよ。悔しくなって、俺はこの味が性に合ってると無理して飲んだらとたんに吐いた。死のうと思った。けれども死ぬにも格好をつけたい。私は煙草を肺で吸うようになった。酒は日本酒を好んだ。ああ、ようやく格好がついたぞ。これで死ねるか? 俺は不健康な生活をしているぞ。これでくたばることができるか? できなかった。人体は思っていたよりも丈夫で、私は気づけばあと50日で30歳になろうとしている。嘘だろ。若いころ、漠然と私はずっと死にたかった。何となく30歳位には死ぬと思ってた。思ってただけだ。実際は違う。何もかもが違う。余生のつもりで生きていた人生が、じつは余生なんかではなくて、ただひたすらに現実でしかなかった。私はこの間、悪癖ばかりを増やした。得るものは何もなかった。くだらない短歌だけがひとつ、出来た。

 生きるとは悪癖ばかり増えること  酒にタバコに女に読書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?