100日後に30歳になる日記(20)

◆5月14日

 仕事から帰ってきたら何か臭う。久しぶりに嗅いだと思った。俺の足が臭い。

 目には青葉 山ほととぎす 初鰹 というのは初夏をうたった江戸時代の名句、最近になってようやく札幌も暖かくなってきて、日なたをのんびり歩くとえも言われず気持ちよく、なんとなく汗ばむのさえこれまでの寒さを思えば心地いい。スーパーに行けば旬の鰹の赤身やたたきが並ぶ。歩道には街路樹が青々しげっている。五月ほど詩趣に満ちているものはまたとない。

五月の日輪はゆたかにかがやき
五月の雨はみどりに降りそそいで
野に
まんまんたる気魄はこもる

五月の土壌

 これは高村光太郎の詩の一節であり、その魅力を存分に言い尽くしていると思う。

 それはそうと足が臭い。頑張って働いた証拠だとかそんなかわいいものじゃない。脂の饐えた臭いだ。匂いではない。臭い。風呂場に行って指の股までしっかと洗う。臭い。臭いよ。初夏でこれでは夏本番が思いやられる。
 もう少し若いころは、靴下さえ履いていれば、そんなに臭わなかった気がする。年を取って体の代謝が落ちてきたのか日頃の不摂生が祟ったのか、原因はどうあれ臭い。蓋の出来ない臭さだ。洗い終わって嗅いでみる。まあ、よい。及第点だ。履き古した靴下は捨てた。念には念をと靴にも清涼剤をぶちまける。悪いのは靴でも靴下でもない。きっと俺だ。けれど八つ当たりせずにはいられなくて、あまりに多い清涼剤の香りでむせて、俺は玄関で涙目になって咳きこんだ。咳をしても一人。

 高校一年生のころ、裸足で靴を履いていた。上履きはすぐに臭った。俺は気にせずそのまま過ごした。七月頭ごろだったろうか、教室で異臭騒ぎが起きた。俺の臭いがやり玉に挙がった。クラス中が俺の席を囲んで靴下履けよと叫んだり諭したりしてくる。みんなから言われると強情になる心根が、俺をいっそう意固地にさせて、においは別の原因だとか俺は抗弁した。誰ひとり信じない。言った張本人でさえ信じていないのだから当たり前だ。そのうちクラスのリーダー格の女子が、おめぇクサいんだよ! と叫んだ。俺はぐっとなって、そのとき何を思ったか、よせばいいのに下ネタを言った。たぶんひとウケさせてこの場を収めようとしたのだろう。それにしては冴えない冗談口だった。クラス中がしぃんとなった。冬より静かだ。どれほどの時間が経ったか知らない。クラスの担任が入ってきた。帰りのホームルームをやるという。教室の異変を察して担任がどうしたのと誰にともなく訊いた。こいつが臭いです。誰かが答えた。
 放課後になって俺は担任に呼ばれた。どうして靴下を履かないの? 別に理由なんかなかった。楽だからというくらいだ。俺は沈黙を貫き通した。明日からは靴下を履いてきなさい。これが高校生にもなって言われることか……? 俺は恥ずかしくなって悔しくなって、すこし涙を浮かべて、こくりと頷いた。
 家に帰って、俺は風呂場に行って足の臭いを嗅いだ。臭いわけがないだろうが。嗅いだら果たして臭かった。俺は洗った。擦り切れるほど洗った。翌日から靴下を履いて学校に行くようになった。上履きにはそれでも少し残り香がある気がした。もともと友達がいなかったからこれで減る友人はなかったのが不幸中の幸いである。それはほんとうに幸いですか? 思い返せば返すほどよく不登校にならなかったなと思う。まあ、人一倍、面の皮だけは厚いので。

 そのときの臭いだった。俺が今日、仕事帰りに嗅いだ臭いは。汚辱と孤独にまみれたこの足の臭いは、否応なく俺に高校時代を思い出させる。文化祭で同学年の女子に手当たり次第に告白してみたり、かっこいいと思ってエロゲのオープニングを始終聞いては批評もどきを仲間内でしていたり、けいおん!というアニメにハマってその二次創作を2ちゃんねるという匿名掲示板で公開して構ってちゃんしているといつしか荒らし扱いにされて誰かれ構わずレスバしたり(https://w.atwiki.jp/kahluamilk/pages/79.html)、いくら記憶に蓋をしようとも、足の臭いは、それを執念くこじ開ける。ちょうどプルースト「失われた時を求めて」で主人公がマドレーヌを食べて身震いし、記憶の宝石箱が開け放たれるように(岩波文庫版p111-)、忘れ去りたいあの日を、腐臭は呼び覚ます。身震いする。そこまではプルーストと同じなのに内実はぜんぜん違う。クソッたれな今の自分と地続きの過去を芋づる式に引きづりだして、もうこうなると頼りになるのは酒である。体の内からアルコール消毒! 明日はいい匂いになりますように。ついでにタバコだ。すぱすぱ吸う。吸い終わる。吸い終わって、ふと我に返る一瞬がある。思わずため息が口をつく。そこで気づく。こんどは口が臭い。

 閑話休題。冒頭にあげた高村光太郎の詩、その末尾はこう締めくくられる。

 わが足に通つてくる土壌の熱に
 我は烈しく人間の力を思う

五月の土壌

 足が臭くてもいいよとたぶん言っている。光太郎も足が臭かったんだろう。俺は文学部出身なので詩の読解には自信があるんだ。

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