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ビスコッティになりたい〜共感ってなに?〜

ものすごくファンタジーなタイトルになりました笑
ビスコッティって美味しいですよね。

ビスコッティについて

「2度焼きした」という言葉が語源となっている中部イタリアの伝統菓子で、カントゥッチとも呼ばれます(カリカリとした歯応えがcanto(=歌う)ように聞こえることから、可愛らしい鳥のさえずり(=cantucci)という別名がつきました)。
棒状に延ばして焼いた生地を一度取り出し、温かいうちにカットして再びオーブンで焼くのです。

ビスコッティ専門店 ビナーシェ

2度焼きするビスコッティの特徴は、なんといっても「乾燥」です。

最近、「ドライ」と「冷たい」は違うということに気がついたんですね。
訳して比べてみれば当たり前のことなのですが、「乾燥」と「冷たい」は違いますよね。

「ドライな人」と聞いて、どんな人のことを思い浮かべるでしょうか。
僕は、自分のことを「ドライな人」だと思っています。
「私は私、あなたはあなた」という感覚が強くて、僕たちは「つまりもう自由でしかない」と思います。
あなたが本当にそうしたいのであればそうすればいい。
あなたの人生はあなたにしか生きられないから。
僕の人生も僕にしか生きられない。

僕は、そんなドライな自分のことを「冷たい人」と捉えていました。
でも、「ドライ」と「冷たい」は違います。
それはどういうことかというと、「ドライ」と「温かさ」は両立できるということです。

僕は、今年のテーマとして「アナーキック・エンパシー」を掲げてきました。
アナーキック・エンパシーとは、「カテゴライズされることを拒否して、自分を手放さず、他者の靴を履くこと」です。
エンパシーを発揮する、他者の靴を履く、共感する。
それが、どうしてできるかというと「乾燥している(ドライでいる)から」こそできるように思います。

もし、同感からしか尊重が生まれないとしたら「相手のことを分からない限り、相手のことを尊重できない」ということになります。
ドライな僕は、「相手のことなんて分かるものなのでしょうか?」と思ってしまいます。
共感や尊重は、「分からない、お互いに自由である存在」という他者への認識からこそ生まれるのだと思います。

共感とは、相手と同じ気持ちを感じることではなく、むしろ「相手と自分との差異を感じること」なのではないかと思います。
「自分はこう思う。あなたはそう思う。」
自分と他者をそれぞれ独立したものとして、それぞれの感覚を捉えようとすることが「共感」です。
「相手の立場に立つ」という言葉がありますが、あれは相手も自分も「独立した自由な存在であること」と認識した上でないと成り立ちません。

「私は私、あなたはあなた」。
ドライな響きがあるかもしれないけれど、だからこそ他者への共感、尊重が生まれることでもあります。

ビスコッティ専門店のコラムにはこんな言葉もありました。

焦がさないように、種類ごとに細かい温度調整をしながら焼きこみますので、手間はかかりますが、これにより他の菓子にはない食感や香り、余韻の長さが生まれるのです。

ビスコッティ専門店 ビナーシェ

ドライであたたかい、ビスコッティのような人になりたいです。

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