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「私らしく」あること、「私」であること

こんばんは。
以前、『人は自分自身で「自分が自分であること」を肯定できる』というnoteを書きました。
映画「福田村事件」を鑑賞後、昨年の9月末に書いたものです。
それから半年ほど経ち、今読み返してみると、自分で書いた記事に違和感を抱くようになりました。
今日はそのことについて書いてみたいと思います。

自己肯定感はどこで培われるもの?

違和感を抱くきっかけになった一つは、SPECTATOR Vol.51「自己啓発のひみつ」を読んだことです。

最近では自己肯定感というキーワードがとりざたされますよね。本来は人間関係やコミュニティの中で培われていくものなのですが、なぜか個人や単独で自己肯定感を上げていく考えになってきている。
ー中略ー
アメリカのビジネス・シーンで自己肯定感の相当するフレーズは「セルフ・エスティーム」です。外部のコンサルタントなどが従業員のセルフ・エスティームが低いのはどうしてかと考えた場合、まず組織上の問題を探します。
ー中略ー
セルフ・エスティームを個人の問題というより、周りの環境や関係性の問題として考えるのです。

自己啓発が流行りつづける背景/真鍋厚(SPECTATOR Vol.51

そうだな、と納得します。
自分が書いたnoteの本文に「自己肯定感」という言葉は登場しないです。
しかし、タイトルに『「自分が自分であること」を肯定できる』とあるので、そこから「自己肯定感」という言葉が連想されて、違和感に繋がっていたのかもしれません。

自己肯定感は、自分だけで育むのではなく「人間関係やコミュニティの中で」培われていくもの。
では、その「自己肯定感」とは何なのか。
SPECTATORには、

自己肯定感というキーワード
自分で自分の存在を、好意的かつ肯定的に受け止められる能力。

とありました。
自分で自分の存在を、好意的かつ肯定的に受け止められる能力。
この文章に「どんな場面で」という設定をつけるとしたら、何が浮かんでくるでしょうか?
僕は、2つ浮かびました。
一つは「自分の世界」、もう一つは「自分と他者の世界」です。
それぞれの場面において上記の文章を言い換えると、前者は「私」であること、後者は「私らしく」あること、となるのではないかと思います。

「私らしく」あるとは?

「あなたらしさ」「自分らしさ」
このような言葉が溢れていますね。
では、その「らしさ」とはどういうものなのでしょうか?

らし-さ
名詞や形容動詞語幹などに付き、そのものにふさわしい様子をしていること、まさにそのものであると判断される程度、などの意の名詞をつくる。「男らしさ」「学生らしさ」「確からしさ」など。

精選版 日本国語大辞典

これに「私」という名詞に付けると、「私らしさ」になります。
「私にふさわしい様子をしていること」「私そのものであると判断される程度」。
ここから考えられるのは、「らしさ」には「判断する相手がいる」ということ。
また、「比較」を通して「らしさ」はあるのだとも言えます。

「私らしさ」とは、「比較する他者がいる」、そして「それを判断する他者がいる」場面においての言葉です。
なので、「(他者と異なる、または特化して見せる)私の本質はこうです」ということを「他者に対して」発する時の言葉が、「私らしさ」となるのではないでしょうか。

「私」であるとは?

では、「私」であるとはどういうことなのでしょう。
「私らしく」あることと比べてみます。

「私」であることは、「比較する他者」や「それを判断する他者」がいなくとも成立することだと思います。
ただ、シンプルに「私」であること、それ以上でも以下でもないです。

先に、

「自分の世界」においての「自分で自分の存在を、好意的かつ肯定的に受け止められる能力」が、「私」であること

と書きました。
最初に引用したnoteのタイトルに戻りますが、『人は自分自身で「自分が自分であること」を肯定できる』、これは「自分の世界」においてそうであるのだと思います。
他の言い方をすれば、『人は自分だけで「自分が自分らしくあること」はできない』
なぜなら、「自分らしさ」とは「自分と他者の世界」においての言葉だからです。

他者と比べられたり判断されたりしなくていい「私」であるって、いいなと思いましたか?
それとも、「自分の世界」でしかない「私」であるって、さみしいなと思いましたか?

「私らしく」あることと、「私」であることを持ち合わせていこう

ここまで書いたことを表にしてみるとこうなります。

ここで生まれる疑問。
「自分と他者の世界」において、「私」であることはできないのか?

できるとは思います。
ただ、それは他者を無視することであって、鏡のように反射して返ってくるのではないかな、とも思います。

「私らしく」あることと、「私」であることの違いについて考えてきましたが、もちろんこれらは繋がっているものでもあります。
どちらである方が良いということはなく、場面によって「表現の仕方」「そうある意味」が変わるということだと思います。

他者と共に生きていくために、「私らしく」ある時があっていい。
自分を肯定するために、「私」である時があっていい。
「私らしく」あることも、「私」であることも持ち合わせていけたらいいな、と思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
皆さんにとって、「私らしく」あること、「私」であることはどんなことでしょうか?


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