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#この街がすき 旅先での会話、サンフランシスコ

メキシコの小さな街のバーで知り合ったベスは、児童絵本作家とエンジニアという二足の草鞋を履いていて、笑顔がチャーミングな上にその場の雰囲気をユーモアでパッと明るくすることもできてしまう女性。

彼女と色々な話をした。彼女のキャリアの話から多くのことを学ばせてもらえたし、彼女が所属するアニマルシェルターのボランティアチームの話からは自分の知らなかった世界を垣間見させてもらえて、時折くる彼女からの近況報告が楽しみなくらい興味深かった。
さまざまな話題を彼女と話したけれど、一番に記憶に残っているのは、大好きな街のサンフランシスコについて熱を帯びて語る彼女のキラキラと輝いた瞳と、ローカル目線で語られるサンフランシスコの良さの話だ。

ベスは、ヨーロッパ系アメリカ人。人生のほとんどをアメリカの東海岸で暮らしていた。彼女の年代にとって東海岸こそクールな場所で西海岸はヒッピーが住むところという認識があったそうで、西海岸への移住は考えたことがなかったそうなのだけれど、時代の流れも手伝って西海岸を旅してみたら、サンフランシスコに住む人々が築くコミュニティーが心地よく、サンフランシスコでの生活が自分には合っていると肌で感じたそうで、10年前にサンフランシスコへ移住したのだとか。移住前はサンフランシスコに馴染めるか心配だったそうなのだけれど、隣人達からのあたたかいWelcomeを受け、移住してからの10年間と今はとても充実しているそう。

そう話してくれた彼女は、自分のことを人見知りと言っていた。バーでたまたま隣り合わせただけの私たちに、自分のこれまでの人生をオープンにそしてユーモアを交えて語ってくれる彼女からは、人見知りの欠片も感じないのだけれど、シャイな自分を受け入れてくれた隣人とサンフランシスコの人々と出会えてラッキーだと、何度も口にしていた。

この話を聞いている時、ふと、日本に住む友人の話が横切った。引っ越しをしても隣人へ挨拶に行かなくなっているから、隣にどんな人が住んでいるかわからない。住んでいるとなんとなく顔を合わせるが、名前は知らず顔を知っている程度だ、と。
さらに、コロナ禍でレストランでの「黙食」のすすめがあるため、一緒に食事へ行っても話しづらいために、友人との外食を控えるようになったら休日のほとんどを一人で過ごすようになったという話も耳にした。

時代の流れとコロナ禍もあって、身体的に近くにいるご近所さんとの「今日も天気がいいですね」といった世間話は消失し、ましてや精神的な距離が近い友人間ですらコミュニケーションが希薄化してしまっている。大人になると新しい友人を作るのは難しく感じるのに、ご近所さんへの関心やコミュニケーションは薄れ、コロナ禍で生まれた新しいマナーも相乗して友人との語らいが少なくなってしまっている現状、私なら孤独から気を病んでしまいそうだ。

ベスの話しを聞いている途中に、日本の友人の話がよぎった私の瞳はきっと翳っていただろうけれど、私はラッキーなのと何度も口にして、
“My neighbors are kind and they warm my heart, so I don’t feel loneliness. I also love my community in San Francisco.  I‘m really lucky I could meet them and have them in my life.” と話すベスの瞳はキラキラと輝いていた。
サンフランシスコは作家になるという夢を与えて叶えてくれた街、知り合いが増えて行くから一人でも心細さを感じないし、外に出れば知り合いと出会いスモールトークが始まる街だと、その後もサンフランシスコの街の話が続いていった。

サウサリートから望むゴールデンブリッジ


大都会なのに、街を歩けば知り合いとばったり出会える街。孤立するどころか、知り合いがどんどんと増えていく街、サンフランシスコ。ローカル目線で語られるサンフランシスコは、彼女の輝く瞳のように眩しく感じられた。

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