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【覚書】平沢進批評プロジェクト:BEACONの捉え方

前提①

私はこれまで、平沢進のいくつかの楽曲歌詞を「新解釈」として、ネット上には(少なくとも調べた限りでは)なかった見解の提示をこころみました。

しかし、今回のnoteは、「おぼえがき(覚書)」です。
つらつらと、思ったことを(あるいは思ってもないことを)書いてみようと思います。それは、私の今後のnoteの指標にするためです。

前提②

「批評」というと、なにかネガティブなイメージがある言葉ですよね。
何か、作品やアーティストをけなしたり、欠点をあげつらうような。

しかし、そうではないです。

事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。

コトバンク「批評」

批評では、良いところも、悪いところも、両方みます。
両方みた上で、「じゃあそれってどうなの?」という評価をしていきます。

「レビュー」と同じくらいの意味だと捉えてほしいです。


マインドマップの提示

ちょっと複雑で、かつ恥ずかしいのですが
私の作ったマインドマップをお見せします。

文字が小さく何書いてあるか分からないと思いますが、拡大してください。

時代の閉塞

時代の閉塞を感じることはありませんか?

様々な価値観や人生観があふれ、お互いに対立し合い、かといって解決策があるわけではない。
「人それぞれだよね」と言ってしまえばそれまでですが、人と、あるいは社会と自分との距離はどんどんと離れていく一方です。

音楽や芸術は、個人のうちの閉じこもり、かつてのように社会を痛烈に批判しつつ、新たな原動力を生むことは、少なくなったように思えます。音楽や芸術領域で、何か新しいジャンルが、「時代潮流」として生まれたのでしょうか。生まれたのなら、教えてほしいですが。

芸術家たちは、「○○宣言」というものを出します。
例えば、「方法主義宣言」 「速記美術宣言」 とか

それぞれが、個人の(あるいは小集団の)内にこもって、その中で新たな手法なり主義なりを打ち立てています。これ自体は、素晴らしいことだと思っています。ただ、それが「閉塞的な時代の打破」というものに、いかなる貢献をするのか、という点が気になるのです。

解決の困難な課題

もう少し身近な例を挙げてみましょう。

ひらさ…いいえ、「ステルスマン」による楽曲に『原子力』があります。
原子力(核兵器)の問題は、おそらく現代の考え方(平沢風にいうなれば、思考様式/思考習慣)では解決できない問題でしょう。

原子力を生み出していった人間の歴史には、この「思考様式/思考習慣」が大きく関わってきます。

『還弦主義8760時間』に関する記事を書こうと思っているので、ここでは簡単に概要だけお話しします。

近代において、「科学」的な手法を用いることが、何かと「よいこと」とされていました。科学的な手法というのは、我々のなじみの言葉で表すならば「分析」です。

例えば、魚の生態を知りたいと思ったらどうするでしょうか。理科の実験のように、「解剖」しますよね。つまり、魚のからだの構造を、バラバラに「分解」して、1つ1つの要素を確かめることで、全体の構造を「解明」することです。
分析=分解+解明
です。

さて、ものを分析し尽くすと何が残るか。「原子」です(正確には色々ありますが、ひとまず)。
その原子に着目し、原子を用いて動力を生み出そうとしたのが、「原子力」という手法でした。これは、まず、広島と長崎で悲劇を生みます。

別に科学的手法をすべて非難しているわけではないです。
ここで言いたいのは、むしろ、「科学的手法がよいこと」とされる思考習慣がなければ、原子力は生まれ得なかっただろう、ということです。

思考習慣は、そうした力がありますが、残念ながら、現在の様々な問題を解決するにいたる思考習慣は、未だ見つかっていません。
(それどころか、「思考」が我々の身近なもので無くなってしまって行っているような気さえします。)

平沢進と「現代」

平沢進は、様々な場面で、こうした「時代の閉塞」と向き合ってきた人であると思います。
これは平沢がそうしようと思っていなくても、です。

マインドマップには、前節で例を挙げた「科学主義」のほかに、「音楽手法」「音楽産業」「環境問題」「社会状況」というカテゴリーがあります。これらのカテゴリーにおいて、平沢が、閉塞的な時代状況に何らかの変容を試みた痕跡が見られます。

この点については、平沢自らも「ゲームチェンジ」という表現を用いている通りでしょう。そして、多くのファンが、このような認識を平沢に持っていると思います。

平沢進とBEACON

アルバム『BEACON』は、こうした閉塞に対しての、平沢なりの「答え」として位置づけられるアルバムのような気がしてならないのです。

BEACONは、近年の平沢進の言動とも相まって、賛否両論な様相を(ネット上では)見せています。

賛否の「否」には、例えばこれらの記事があります。

これらは、「BEACON 感想」とでも調べると、比較的上位に出てきます。

これらの感想は、私には「平沢進の出した答えに対する反動」のように受け取られます。これまでの平沢は、どこか行くべき道を指し示してくれるような、くれないような。何かを見せているような、何も見せていないような…。そうした判然としない状況こそに、魅力を感じていた人もいたと思います。

もちろん、馬骨歴の長い方で、平沢進の一貫性をみている人もいらっしゃるでしょう。まぁ、見方は色々あります。

歌詞に目を向けてみると、『BEACON』では明らかに、命令形が多用されています。
「見よ」「立て」「行け」などなど…。

命令形とは、何かを「命じる」口調ですが、
「命じる」人は、何らかの、明確な考えがなくては「命じる」ことは普通はできません。

バイトは社員に命令することは、基本的には出来ないですよね。その仕事に対しての「明確な考え」(ここでは仕事の見通しや、仕事内容の把握まで含めて)をバイトが持っていないからです。社員は持っています。だからこそ社員はバイトに命じることができます。

ここから、平沢進のなかには、そして『BEACON』の楽曲には、何か明確な考え、つまり答えが含まれているのではないか、と考えるわけです。

BEACONは、ただの新譜ではなく、平沢進の「答え」なのです。
我々は、BEACONを、より慎重に、検討する必要があるかもしれません。

批評の必要性

「批評」などとたいそうなことを書きましたが。

平沢進が、「コレが答えだ!」というならば、
その答えを無批判で受け取るのは少々危険でしょう(それは平沢自身が、常々言っていることですが)。

だからこそ、「批評」が必要なのです。(ここで前提②をもう一度、ご覧くださいね)

それからもう1つ。
平沢進の「絶対化」(もっと分かりやすく、斎藤環先生の言葉を借りれば「教祖化」)を、防ごうとする意図もあります。
齋藤先生の記事はこちら

平沢進の出した「答え」が何であれ、これまでの平沢の主張やスタンスとの一貫性を持たせるのならば、やはり「批評」が必要です。
平沢の「答え」に対して、自分が賛成するか/反対するか/判断しないか、そのあたりは、自分で考えて、自分で決める必要があります。
「平沢が言ってるから」ではダメなのです。

アルバム『BEACON』の楽曲や、『BEACON』の楽曲に関連する、あるいは共通のテーマを持つ楽曲の検討を重ねていき、少しずつ迫っていこうと考えています。

キーワードは、今のところ「花」「雨」「幽霊」あたりにしています。まぁ平沢進の頻出ワードではあるのですが。

長々と、ありがとうございました。

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