44歳パニック症、ドイツでインプラント手術を受ける。

昨日、ドイツ・ミュンヘンで、歯のインプラント手術を受けてきた。

手術を受けた歯は2本で、15番と37番。

手術を担当した歯医者は女性で、私の元かかりつけ歯医者に紹介された先生だった。問い合わせメールを送ってもほとんど返信がなかったけれど、優秀であることは感じられたし、ビジネスだけでやっている人ではないとの元かかりつけ医の言葉を信じて、お願いすることにした。

1本目の15番の手術は順調に終わり、乗り切れると思った矢先、37番のところには十分な骨がないと言われた。

いきなりそんなことを言われても困る、事前にレントゲンを撮って確認していたのではないか。そう言いたかったのだが、反論する余裕はなかった。

「骨の移植手術をするか、インプラントをあきらめるか」

麻酔を何本も打たれていて、まともに話すことができない状態で、決断を迫られた。

すでにインプラントを一本終えていて勢いがついていたせいか、私が「やる」と答えると、すさまじい作業に入った。

助手が、まるでプロレスの技をかけるかのように、私の頭の側から、両手を使って抱え込むようにして、私の顎を固定した。

そのうえで、医者がハンマーのようなものを使って、私の腔内の骨を削り出した。

ハンマーが振り下ろされるたびに、脳が酷く揺さぶられた。

「後もう少し」という気休めの言葉が何度もかけれらながら、それはかなりの長期戦となった。

手術は無事終わったようだったが、あまりの展開に私は放心状態だった。


ドイツでの手術ということに加え、パニック症が出てくるかも、と不安だった私は、付き合っている女性に付き添ってもらっていた。

医師は、レントゲン写真を見ながら、私ではなく、私の彼女に向かって、ドイツ語で早口に状態を説明した。

自宅に戻っても、口から出続ける血と、時間の経過とともに強くなる痛みにより、精神的にかなり参っていたが、彼女が作ってくれた「おかゆ」を食べて復活した。

それは実家の母親が日本に帰った際に持たせてくれた、両親が作ったお米だった。

「お米には力がある」と、身を持って知ることになった。

手術中、口を大きく開けている以外、何もできなかった私は、目をつぶって色々なことを考えていた。特に考えていたのは、母のこと。私は小さい頃、もっと母の近くにいたかったんだなぁ、などと考えていた。私は第一子で、2歳下の妹と6歳下の弟がいるため、彼らの誕生により母を独占することができなくなったときの寂しさのようなものが、私のインナーチャイルドを形成しているように思えた。

彼女は、夕食後に薬を飲んで寝てしまった私を見守り、さらには翌日以降の食事をたんまりと準備して、11時頃まで私の部屋にいてくれた。

おかげで、一日中、彼女と一緒にいることができた。

幼少期に母のそばにもっといたかったという私のインナーチャイルドの願いは、多少なりとも癒やされただろうか。

今後は、もっと健全な形で彼女と一緒にいることを感謝できるようになれれば、と思っている。


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