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アンビバレント

麻雀とは一言で言うとどういうゲームですか?
と問われたら、あなたはどう答えるだろうか?

誰かに和了られまいと和了へ一直線に進めば点数が安くなる。
では点数を高くしようとすれば時間がかかり、誰かに和了られてしまう。

まさに、アンビバレント(二律背反)。
この命題に答えなんかない。
そう決めつけていた。

こちらからどういうゲームですか?と、問うておいてこんな言い方は身も蓋もないのだが。
僕の言い分も聞いて欲しい。

麻雀においての答えなど、水の流れのように時々刻々と変わっていく。

そこに座る人間が変われば。
1年も時間が経てば。
あるいは、日によって。

いつも、答えとすべきものは変わっている。

だから、突き詰めようがないのだと、僕はあきらめていた。

数年前の一時期、僕はそんなことに思いが迷い込み、何をどうしたらよいかわからなくなったことがあった。
川の上から流れてくる配牌を、ただ意思もなく川下へ流されていくのを眺めて。
右へ左へ、牌に遊ばれながら、フラフラと漂っていた。

今日は、そんな僕を目覚めさせてくれた人の話をしよう。

ある打ち手との出会い

とある競技会でのこと。
ふと気が付くと、上家に女性が座っていた。

「よろしくお願いします。」

と彼女は一言つぶやくと、あっという間に一打目を切り出した。

「…タンッ!」

僕は彼女が切り出した指先の美しさと「音」にハッとした。

打牌音を立てないように牌を河に置くのが主流の昨今。
お行儀が良いのは結構だが、私はあまり賛成しない。

牌は「切る」もの。
強すぎず、心地よいリズムで牌の音が流れていく。
その文化が無くなっていくのは少し寂しい。
しかし、巷では音を立てることが「悪」とでも言わんばかり。

その中にあって、こんなに軽やかに清々しく牌を切るプレイヤーを久々に観た気がする。

これが後にプロになる、木下遥さんとの出会いだった。

この頃の彼女はとにかく「気」と「我」が強い麻雀を打っていた。
向かってくるものをとにかくなぎ倒す。
自ら進んで戦いの場に下りて行って殴り合いを楽しむような。
彼女の麻雀に触れた僕は、この戦い方では身がいくらあっても足りないなと感じた。

最初のうちは、僕も他の2人も彼女の矢継ぎ早に飛んで来るリーチに押されっぱなしで成す術がなかった。
ただ、成す術はないのだが、彼女の戦う「気」に当てられたのだろうと思う。
こちらも一発目から危険牌を叩き切るなど応戦する姿勢だけは崩さないように心がけた。

ゲームの終盤。
彼女の摸打にほんの少し迷いがあった瞬間があった。
首をかしげるまではいかないが、逡巡するような彼女の「ポン」の声。

今思えば、あの一巡が潮目だったように思う。

先手を取られっぱなしだったのが形勢を逆転することに成功。
ゲームを終える頃には、わずかながら僕の方が少し良かったように思う。

無我夢中で牌と向き合ったのはいつぶりだっただろうか。
久々に「生きている」という実感が得られたよう。
僕にはそんな充実感があった。

「楽しかったです。またね。」

と僕が声をかけると、彼女はじっと卓の上を見つめて、わずかにうなずいた。

悔しかったのかもしれない。
いや、悔しかったのだろう。
自分が思う正攻法で戦って、わずかに力負けしたような格好の決着だったから。

あの時の木下さんの表情。
悔しさを噛み殺そうとするけれど、こらえきれないような顔。
とても良い顔だった。

負けてあの顔が出来るのは、真剣に麻雀に取り組んでいる証拠だと僕は思う。
だから、麻雀の悪い部分に染まらず、日の当たる場所で強くなって欲しいなと、僕は勝手に思っていた。

爽やかな金糸雀(カナリヤ)色の風は変わった

しばらく経って、木下さんがプロになった。
木下さんと再会したのは、確かプロアマリーグの会場だったと思う。

「お久しぶりです!」

彼女は僕のことを覚えていてくれたようだった。

彼女は、サツドラのコマーシャルで見かけたあの笑顔そのまま。
その笑顔が麻雀の世界にあるのはなんだか不思議な感じだったが、この世界に爽やかな金糸雀(カナリヤ)色の風が吹き込む様で嬉しかった。

木下プロの姿は、西野拓也プロの勉強会や、吉田祥子・かわいめぐみ勉強会で度々見かけるようになった。

そもそも、強くなる素質を秘めていた(ように僕は思っていた)木下プロだが、その成長のスピードたるや驚くべき早さで、会うたびに驚かされるばかり。

はじめに観た「気」と「我」の強い摸打は徐々にしなやかさを帯び、優雅でたおやかな所作へ…彼女はあっという間に変貌を遂げていった。

そして、一番の変化点は「押す」「退く」のメリハリ。

「押す」決断をしたら絶対に勝負から降りないということは、最初から出来ていたと思う。

しかし、難しいのは「退く」決断。
どこで勝負に蓋をするのか…その決断のよりどころはどこか?

徹底的に「押す」麻雀をやってみて、たくさん痛い目を見たと思う。
そして、どこまで行ったら痛い目に遭うのかが分かったのだろう。

ここからはダメというラインを自分で見つけられたようで、しっかりと相手の攻撃を受け止める場面を見かけられるようになった。

堅い鉄は、一方向からの力には強いが、横から叩かれれば簡単に折れる。
しかし、粘り気の強い金属を混ぜた合金は、しなやかで簡単に折れない。
今の充実した木下遥は後者の印象だ。

アンビバレントに答えを

だから、シンデレラファイトはかなり良いところまでは勝ち上がると思う。

ただ、最終的にタイトルを手にできるかどうかはわからない。

それは「牌」が決めること。
勝ちが目の前にぶら下がった時に、人は牌に試されるのだ。

「速さ」と「高さ」。
「押す」のか「退く」のか。
勝ちに「手を伸ばす」のか、ぐっと「こらえる」のか。

あの舞台で木下プロも、牌から数々のアンビバレントを突き付けられるだろう。

でもきっと。
「木下遥」なら、そのアンビバレントにすら答えを見出してくれる。
彼女の姿には、それを期待させるだけの何かがあるから。
少なくとも、僕はそう信じている。

もうすぐ、剣が峰のセミファイナルが始まる。
ここを「勝ち」にできるかどうか。
「木下遥」という打ち手の真価が問われよう。

彼女らしい強烈で清々しい麻雀が観たいと願う。

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