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しりょうかく (ほくとし)
油絵 F8 横455×縦380 2014制作

函館を訪れると五稜郭は観光名所として一度は訪れる所です。
しかし、四稜郭を知る人は少なく訪れる人は稀です。
四稜郭は、函館市陣川と北斗市野崎の2ヶ所にあります。

四稜郭

函館市陣川の四稜郭は、明治2年、箱館戦争の際に榎本武揚たち蝦夷共和国が陣川に、新政府軍を迎え撃つために構築したものです。

絵に描いた四稜郭は、函館の隣町、北斗市野崎にある四稜郭で、正式名を「松前藩戸切地陣屋跡」(まつまえはんへきりちじんじゃあと)といいます。
安政2年(1855年)、幕府が松前藩に築造を命じたもので、五稜郭より、こちらの方が築城は先でした。

箱館戦争で旧幕府軍は五稜郭に立て籠もりますが、新政府軍は日本海の乙部沿岸に上陸してきました。
明治2年、五稜郭の背後を守るために、北方約3kmの高台(現在の函館市陣川)に急造したのが四稜郭です。土塁と空濠をめぐらし四隅に砲座を設置した簡素なもので、旧幕府軍約200人と近隣の村人約100人で完成させたといわれています。
松岡四郎次郎率いる旧幕府軍は四稜郭を守っていましたが、四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領されたことから四稜郭での戦いは1日で終わりました。

四稜郭から五稜郭方面を望む

四稜郭の入り口には桜の木が植えられており、5月の初旬~5月中旬にかけて桜が見頃を迎えそうです。
「松前藩戸切地陣屋跡の四稜郭から五稜郭方面を望む」の絵は四稜郭の松林から五稜郭方面を描いたものです。
五稜郭は観光客で溢れていますがこちらは誰もおりません。





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