蝦夷の時代18 松前藩の財政・檜
砂金のゴールドダッシュは約半世紀続き下火になりましたが、明治に入ってから再度復活します。蝦夷の地は、まさに「黄金の国」だったのです。
今日でも町興しの一環で「砂金祭り」が残っています。
砂金と入れ替わりに江差の檜山が松前藩の財源となりました。
上ノ国天の川より厚沢部にかけての檜山の木材でした。この檜は檜に似たアスナロで、寛永の福山館修築にも用いられています。
延宝6年(1678)厚沢部山を開放し、檜山奉行を置いて取り締まり、山師から運上金をとって伐採を始めました。
元禄期に