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うたい継がれる景色

今日、5月27日は百人一首の日らしい。
藤原定家が、京都の小倉山で百首の和歌を選んだ日から、およそ800年も経つのだそう。

百人一首にはじめてふれたのはたぶん中学生になった頃。
学年の恒例行事だった百人一首大会のために覚えたのがきっかけで、
小テストがあったり、友人たちと上の句・下の句を詠み合ったりした。
班ごとの予選があって、勝ち進んでから学年ごとの決勝戦。
私もそれなりに覚えていたけれど、クラスの中には必ず何人か得意な子がいて、その子たちがたくさんの札をぱしんっととっていくなかで、
お気に入りの一首だけはとられないように懸命になっていた。

ほとんどの人がこうして和歌にふれる機会があることもだけど、
800年もの間、政変や戦のなかを生きながらえて、現代にも通じるものとして捉えられていることが純粋にすごいと思う。
古典なんてもはや外国語みたいなのに。
それをどうにか読み解いて、そして後世に残そうとしてくれた人がいることにただただ心がふるえる。
いろんなものの流れが速くなっているいま、私が書いているものはきっと消えていくだろうけど、和歌は現代まで受け継がれて。
そうして昔に生きた人たちの生活に、想いに、手を伸ばすことができるなんて奇跡みたいなことじゃないかと思うんです。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香具山

私の目に映っているのは、
香具山じゃなくて並び立つマンションのベランダだし、
干されているのは祈りの儀に使われるような神聖な衣じゃなくて、
ただの普段着のTシャツだけど。

それでも目にした色や感じる風に思うことは、今も800年前も同じ。
夏がきたなぁ。


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