好きの温度をとりもどす
好きになったモノや世界にずっと触れていたい。
熱しにくく冷めにくい性質なのか、ビビっときたものに出会うたびどっぷりつかっては、そればかり追いかけるのが私の好きなモノに対するスタンスだった。
それは例えばコンビニの焼きそばパンだったり、
イギリスという国だったり、小説やマンガの世界だったり。
もちろん書くこともそのひとつで、私にとっては呼吸をするのと同じくらいに「好き」が当たりまえになっているものなのだけど、
ここ2か月くらい、どうしようもなく書くことができなかった。
書くことを仕事にしているわけではないから、そんなに困ることでもない。誰かに与えられている義務でもないし、これまでも書くタイミングはだいたい気まぐれ。
それはそうなのだけど、呼吸するように自然だったことが急に遠くなる感覚は、なんだかどうして泣きたくなるものがあった。
社会人1年目が本格的にはじまって、~しなきゃとか、役に立つモノとかが知らず知らずのうちに生活のなかにあふれていることに気づいて、
ようやく自分に時間を使ってあげられるようになったのがつい最近のこと。
つい忙しない日々を過ごしていると、無駄なことはいらないと手離してしまうけれど、それはそんなに簡単に失くしてしまっていいような、ささいなものなんかじゃない。
「心の中に、しがみつけるものを持つ人は幸せだ。それを”ささいな幸せ”と呼んでいいのは、当人が謙遜する時だけ。誰にもそれを”ささい”と断じる権利はない。」 辻村深月『ハケンアニメ!』
私にとっての”ささいな幸せ”は、書くことで、読むことで、物語にふれること。やっぱり好きなモノを追いかけているのが一番たのしい。
ちょっとずつ「好きの温度」を取り戻している私の、夏ははじまったばかり。もっともっと暑くなれ。
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