見出し画像

ネパール料理とタシナミ


前回の投稿 <10月料理教室まとめ|花織|note>
でネパール料理を食べたことを書いた。
今回はそのときの話。

新大久保の大通り沿い。雑居ビルの4階に[アーガン]という老舗のネパール料理屋がある。

1階だか2階が韓国料理屋となっているようで若い女の子たちが順番待ちをしているのを後目に、4階まで階段を一気に上がる。
店のドアを開けると、「いらっしゃいませー」
ネパール人と思しき店員さんが案内してくれる。
1番乗りだった。

一人だったのでカウンターに通される。
カウンターと椅子の高さが微妙に合わず落ち着かない。椅子を引いても背筋を伸ばしてもうまくいかない。
そわそわしながら目の前の棚に並ぶ何種類ものお酒を眺めたり、芸能人の読めないサインを解読したり、不思議なネパールの調度品に目を奪われていると高さの違和感も気にならなくなってくる。
カウンターの奥に厨房があり、ネパール人のおばちゃんと若い子が中でテキパキと大鍋を操ったり何かを洗っている。ホールのスタッフと時折ネパール語で楽しそうに談笑している。

そうこうするうちに料理が運ばれてきた。
ネパール料理は主に「ネワリ族」と「タカリ族」による食文化に分かれるらしい。私は「アーガンスペシャルタカリセット」をオーダーした。

いろいろ乗ってる!


南インドのミールスのような感じで、ごはん、カレー(野菜、チキン)、ダル(豆カレー)、タルカリ(野菜の炒め物的なおかず)、サーグ(青菜炒め)、乾燥発酵野菜の漬物、大根の漬物、トマトアチャール、生野菜、ヨーグルトなどからなる豪華なプレートだ。
温かいうちにごはんにギー(写真:生野菜の上のバターオイル)をかけて食べてくださいとの文言が書いてあったのでそのとおりにする。
これだけいろいろな種類のおかずがあるので、いろいろな味の組み合わせが楽しめる。カレーとサーグ、アチャールとカレーとタルカリ・・・お皿の上でいろいろな組み合わせを試してみる。
カレーはスパイシーだけど、ダールはマイルド。漬物はしっかり味がしてピリッとする反面、タルカリやサーグは穏やかで癖がなく優しい味。
味に緩急があって飽きることがない。

素材の味がスパイスに負けずにしっかりと残る、日本ナイズされていない本場のスパイス料理を実は初めて食べたような気がする。
私が今まで食べてきたスパイスカレーを思い返してみると、アーユルヴェーダを学んでいたせいもあり、周りにインド人やインド好きの人たちが多くいたため大抵インド料理だった。
北インドであろうと南インドであろうと印象が強いというか濃いものに濃いものを合わせるところがあるので、食べているうちにスパイスに自分が負けてしまうことが多々あった。


もちろんミールスも止まらなくなるほど美味しいけど


でもダルバートはもっと日本寄りのような気がする。全体の中に素材の味がそのままほどよく残されている料理がいくつかあるのがとても安心する。
そうか、こういうバランスで作ればいいのか、こんなふうに作っていいのかと目の前の霧がさーっと晴れていく。
アーユルヴェーダ、インド・・・どうしても自分のルーツに引っ張られてしまいインド風に作らなければという考え方しかできなかったのだが、ネパールのスパイスづかいはこんなに穏やかだった。
なんだかようやくはじめてスパイス料理に共感出来た気がした。

こういうものを自分でも作ってみたいなあ・・・と黙々と食べながら長い思考から覚め、ふとお皿から顔を上げると厨房からおばちゃんがニコニコ笑ってこちらを見ている。

辛くて熱いものを食べたので鼻水でもステルス的につーっと垂れているのかと水を飲むふりをして鼻の下をぬぐってみたが何もない。
一瞬迷ってお皿に視線を戻したが思い直してまた顔を上げて厨房を見ると、おばちゃんはもうそこにいなかった。

いつのまにか店内はお客でいっぱいになっており、厨房からは鍋やお玉やお皿のにぎやかな音がひっきりなしに聞こえてくる。

帰り際レジでお金を払うときもちらりと厨房を見たが、帰るお客に気づく暇はなさそうだった。
おばちゃんに微笑み返せなかった代わりに、お皿をきれいに空にして「おいしかったです」と店員さんに一言言い添えて店を出た。



私が食べている姿を私は知らない。

桐島洋子さんが「聡明な女は料理がうまい」というエッセイで、ひとりでいると怖いのはタシナミを忘れてしまうことだと言っていたのを、ふと帰りの電車の中で思い出した。

タシナミ・・・それは普段からの美しい積み重ね。所作やら何気ない振舞に生き方がそのまま反映されてしまうようなおそろしい響きがある。
誰かに見られていることを自覚すればそれなりの緊張感が伴うものだが、人間だれしも仕事終わり疲れ切ってスマホをいじっているときやお腹があり得ないくらい空いている時には、人前であろうがなかろうがタシナミなどどこかに吹き飛んでしまう。

私がずっと考え事をしながら、ぐるりと並んだカレーやごはんをお皿の上で混ぜながら、そうやって無心に食べているところにタシナミはあっただろうか。
思い返して背中がゾクリとした。

おばちゃんが笑っていたのは、私が美味しそうに食べていて作り手冥利に尽きるからという説を信じたい。

でももしかしたらそれは私にとって都合のいい理由でしかないのかもしれない。

帰り道、電車の窓にぼんやり映る自分を見て、そんな希望的観測を抱きながらタシナミタシナミとずっと繰り返していた。




2022年11月の教室詳細はこちらから

https://lit.link/hogarkaorita







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?