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聴覚過敏を治す?

実は昨日、すごく心に引っかかることがありました。


久しぶりにご近所さんとお話をしていたのですが、その途中で大きな着信音が鳴りました。
私は驚いて言葉が止まってしまいました。
それを見たご近所さんが、

「聴覚過敏は治したほうがいいね
周りが何かと思ってびっくりするから」


私としては、幼い頃からびっくりしたときにフリーズしてしまうクセがついているため、何だか悲しい気持ちになりました。

私は感覚が鋭いことで生活に支障が出ている節があります。
幼い頃は病気で耳があまり聴こえませんでした。
ただ、成長して聴力を取り戻してからも、いきなり大きな音が聴こえて驚いても耳をふさぐなどの行為はしていませんでしたし、出来ませんでした。

家庭でも学校でも「変な奴だ」「大げさな奴だ」など言われて非難されるのはよく知っていたからです。


大きな音に驚いて言葉が詰まる。


それすら「治す」対象としてこの人には見られてしまうんだな…


悲しかった。


ただ、それは医療の知識がない人に話したところで平行線になってしまうため黙っていました。

悪意もないとわかっていますし。

私は一般の人の聴覚レベルをインチュニブで体験したあとでしたので、「自分の持つ聴こえ方と一般の人の聴こえ方に大きな隔たりがある」と知っています。



自室に戻って、
「悲しいよね」と自分に声を掛けました。

ただ、共感を求めるなら同じような苦しみを知る人や医療の心得がある人にしないと、相手には無理強いになることもわかっています。

そのまま、散歩に出て、いつもの浜で波の音を聴いていました。

もし、この出来事がいつまでも心に染みのように残りそうなら、クリニックで「なかなか理解されないとわかっていても悲しくなっちゃうときがあります」と少し弱音を吐けばいい。
クリニックは弱音を吐いてもいい場所のはずだから…と思いました。


関係性を悪くしたくない相手だからこそ、自分の障害に対してあまり嬉しくないことを言われても、多少のことは黙っていた方が良いことも多々あります。
当たり前ですけどね。
障害の有無にかかわらず、「お互いに理解できないこと」なんてこの世に溢れかえっています。

症状の説明ばかりは医学用語を並べなくてはできませんが、それを一般の人に理解させようとするのはお互いに疲れます。

悲しかったね…
何もびっくりしたくてしてるんじゃないよね…

波の音は何も応えてはくれませんが、否定もしません。

ただ繰り返し、
来てはひいていくだけ。

後ろを見れば自分の足跡がついているだけ。





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