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四季とあそぶ。

私は機能不全家庭出身だけれど、幼い頃は人懐っこい性格の祖父にずいぶん可愛がってもらった。
祖父は隣の県に住んでいて、連れ合いを58の頃に亡くし、それからは一人暮らしだった。
認知症になって、私に暴力を振るうようになるまでは本当に可愛がってもらった。

祖父の家は平野にあり農耕が盛んだった。

祖父は大工の棟梁として仕事をこなしながら、田んぼや畑をやっていた。
私も子供の頃は田植えを手伝ってヒルに噛まれたり(笑)、野菜の収穫を手伝ったり、渋柿や青梅の収穫に駆り出されたりした。
渋柿や青梅は薬屋に売ってお金にしていたのだ。
渋柿なんて生では食べられたものではなかったが、まだ生きていた祖母が軒下に吊るして雪が降る頃に食べさせてくれた干し柿は甘かった。
祖母が漬ける塩辛い梅干しが好きだった。

夏は川に入り、魚を捕って遊んだものだ。
ドンコやドジョウ、オイカワなど捕まえるのに苦戦する魚種もいたが、葦の根本をガサガサとタモで探る「ガサガサ」と呼ばれる方法で魚を捕るのは楽しかった。
腰まで深さのあるところなら、服のまま泳ぐこともできた。
サワガニ捕りも楽しく、あぶくを吹く蟹をスケッチするのもまた一興であった。
あぶくを吹く蟹は苦しがっているので、今思えば可哀想ではあるが…

祖父の家には納屋と蔵があり、探検するのも楽しかった。
納屋には糸車があり、戦後しばらくはお蚕さんを飼っていたらしく、蔵には繭が残っていた。
納屋には魚籃(びく・獲った魚を入れておく徳利状の籠)もあり、火鉢もあり…
母屋には囲炉裏もあった。

冬にはいとこ達とかまくらを作った。


こんな話がある。
私のハハはこのような田舎の出で、チチは都会の出だ。
ハハはチチの母(私の祖母)がカレーライスを作るのにカレー粉を買い、人参を買い、じゃがいもを買い、玉ねぎを買い、鶏肉を買いしているのを見てショックを受けたというのだ。
ハハの家では、人参は畑から引っこ抜き、じゃがいもは玄関に保管されており、玉ねぎは軒先に吊るされ、鶏は庭に走り回っているのをとっ捕まえて頭を取り、竹藪に吊るして血抜きをし、羽根をむしってカレーを作るのだった。
米すら自分の家で作っており、カレーライスを作るにあたって買うのはカレー粉のみだったというのだ。

「…カルチャーショックだった…」

あの時を語るハハは人間の顔をしていた。

ハハには自然が必要だったのだろう。
ハハが病に臥せったのは田舎の風習や自然が彼女に合っていて、チチの良しとする生活は彼女には慣れなかったからだろう。


実は私も若い頃に東京に憧れ、新幹線に飛び乗ったが…コンクリートジャングルと人の多さに圧倒されて一晩で力尽き、田舎に帰ってきた(笑)。

自然溢れ、四方を田んぼに囲われたカエルの里で育った私には都会は不慣れだった(苦笑)。

今でも都会に憧れはなくはないが、「体調崩すだろうな…」と確信にも近い感覚でいる。

四季とあそぶ。

田畑でモグラのように暮らすのも悪くない。

花粉が収まった今、強くそう思う。



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