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母親になっても生き方は変えられない

頂いた質問に対する回答を書いていたが、なんだかどうにもうまくまとまらず、下書きに放り込んで普通の日記を書き始めてしまった。時刻は午後9時半である。すでに平素の更新時刻を過ぎてしまっている。定期更新を続けることで、どんどん面の皮が厚くなっている。読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。

上記の回答を書き始めたのが昨日の夜で、筆はするすると進んだのだが、書いたものを読み返してみると説教くさく散々な出来で、”これは人に見せるモンじゃないな…”と正気に戻ってノートパソコンを閉じた。

こういう夜は、大抵悪夢を見る。昨晩の夢は、修学旅行で海外に行くのに空港のチェックイン時間に全く間に合わないという分かりやすい悪夢だった。34歳になってまで修学旅行の悪夢を見たくない。

最近はもっぱら試験勉強ばかりしている。専門医試験がとうとう3週間後に迫っているからだ。とはいえ、仕事をしつつ3歳児の相手もしているので、勉強は全く捗らない。COVID-19の影響もあって勤務中は常に忙しいし、休みの日は3歳児が家にいるから、自分の勉強に集中できる時間は本当に限られている。

今日も育児の合間を縫って勉強をしたりしたが、正直やらない方がマシだったのではないかと思うくらい全く捗らなかった。
子どもは3歳なのだが、最近は一応、”仕事をするから1人で遊んでいてね”と言うと、意味は理解してくれる。
直前までおままごとやレゴブロック、学習ドリルや絵本の読み聞かせでたっぷり構っておいて、それから勉強の体勢に入る。リビングの隣の書斎に入り、問題集を開く。

5分もしないうちに、3歳児が書斎に突撃してくる。一応遊んでいてねと言われたことを覚えているらしく、私が座っている椅子の後ろで何やら書斎の棚の扉を閉じたり開けたり、夫が愛用しているギターの弦を指先で弾いたりして静かにしている。そばに置かれている鳥のぬいぐるみを見つけて、私に見せてくる。

”ママ〜、この鳥さんの名前なんていうの?”
チュンだよ。ママは仕事をしているから静かにしていてね”

娘は3歳にして、無類の鳥好きである母親には鳥を絡ませたネタで話しかければ確実に答えが返ってくると理解している。返事をもらえたことに満足して、娘は一旦静かになる。静かにしてはいるが、延々弦を弾いているので調子っぱずれのギターの音が書斎に響く。勝手にペグを回してチューニングを狂わせようとするので、”ペグを回すのはやめなさい”と声を掛ける。また調子っぱずれのギター。しばらくすると飽きたのか、娘はリビングに戻る。

よし、やっと集中できるな…と問題集に向き直るが、今度は1分も経たないうちに、”ママ〜、Netflixで体操の動画流して〜”と書斎にやってくる。頼むから集中させてくれ…と思いながらNetflixをつける。マンション住まいなのでジャンプやスキップをすると下の階に迷惑がかかるので、防音用のマットを納戸から引き摺り出してきてリビングの床に敷く。

体操を頑張るんだよ、と声をかけた後は、15分くらいはマットの上で飛んだり跳ねたりして大人しく(?)していてくれた。ちなみにこのマットは防音性が高いものの、8000円近くする代物である。元気の有り余っている3歳児をなんとか疲れさせるために買ったが、普通に高い買い物だった。

以前はそもそも、休日は一日中3歳児の横にいないとだめだった。母親である私に育児以外の生活があるということを理解できない子どもに付き合うのは本当にしんどかった。最近は一応、母親は仕事に行ったり友達と遊んだりする生き物なのだなということを3歳児なりに理解してくれているらしく、”仕事をするからね”と声を掛けるとまずは”どこで?”と質問が返ってきて、”おうちで仕事だよ”と答えるとちょっとホッとしたような表情になる。娘の父親は日曜日も当番などで家を空けることが多いので、母親である私まで仕事に行ってしまうのではと不安なのかもしれない。

少し前まではとにかくずっとべったり横についていないとだめで、もう相当一緒に遊んだだろう、そろそろ夕方かしら…と思って時計を見てもまだ昼の2時くらいというような苦痛が毎週続き、頭がおかしくなりそうだった。数分おきに書斎に突撃されながらでも、自分の仕事や勉強に取り掛かれるのは気持ちが救われる。

昼頃に娘と外出をして、オムライスを食べた。最近は食べこぼしもせず、食事が運ばれてくるまでの時間も騒いだりせず大人しくしていてくれるので、外食のハードルがかなり下がった。
ご飯を待ちながらなんとなく周囲を見渡していると、2歳くらいの男の子とその母親、それから祖父母の4人で食事をしているテーブルが目に入った。母親は自分の分のオムライスが運ばれてきているにも関わらず、息子に頬擦りしたり頭を撫でたりしていて、息子もそれに応えて嬉しそうな様子だった。

私はスキンシップも愛情表現も苦手な方だから、人目がある場所で娘にそういうふうにぞっこんな様子で構ってあげたことが一度もない。可愛いとは思うが、それは撫でたり頬擦りしたりするような可愛さではなく、この可愛さを親として責任を持って守っていかねば…と思うような、責任感に近い感情だけがある。

息子に頬擦りし続ける母親を眺めながら、あんなふうだったら、書斎に突撃してくる娘をNetflixでいなしたりはしないんだろうな…と思った。だからと言って自分自身の生き方を変えるつもりもないのだが。育児に正解はないとかそれ以前の問題で、私は私であることを母親になったからといってそんなに簡単には辞められないのだった。

この辺りの感情については、関連する質問をいくつか質問箱にもらっているのでそのうち書くと思う。試験まであと3週間程度、3歳児と何とか付き合いながら合格ラインまで知識を充填させたい。

Big Love…