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平常心で書く

夏が本番になってからやたらと洗濯物の量が多い。本来冬服よりも夏服の方が布の面積は狭いし生地も薄いはずなんだから、洗濯物の量は減っても良いと私は思うのだが、恐ろしいことに前回の洗濯から24時間も経たないうちにランドリーバスケットが一杯になる。

縮みやすい子どもの服などは乾燥機にかけられないので、分類して洗濯用ネットに入れる。雑に洗えば良いやと思っている服や、乾燥機にかけた方がふわふわになると思っているバスタオルは乾燥機行きにする。干すものと干さないものに分けて、1日に最低2回は洗濯機を回している。乾燥機までかけると3時間はかかるので、1日のうち4時間くらいは洗濯機が稼働している計算になる。

洗っていない服は心なしかでろっとして見える。触るのも何となくいやだ。服とあまり目を合わせないようにしてぽんぽん洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスイッチを押す。汚れた服が勢いよく回り始める。慎ましく暮らしているだけなのに、こんなに大量の汚れ物が出るなんて理不尽じゃないか?と毎晩洗濯機を眺めながら思う。

週に3回のnote更新を続けていて、今までは感情が大きく動くような出来事を見つけてきては2000字くらいの文章を書くというスタイルを取ってきた。ちょうど新型コロナウイルスの対応をしている時期に更新を始め、また、3歳の子供が家にいることから、言い方は悪いが感情が大きく動くような出来事を見つけてくるのはそう難しくはなかった。

それでも週3回の更新はかなり厳しい。週に3回も大きく感情が動いていたら疲れ切って死んでしまう。しかし、なんとか出来事を引っ張っては文章を書く生活が続いた。結果として新しいことに手を出すハードルがかなり下がった。面白そうなら、映画でも本でもイベントでもなんでもとりあえずやってみるようになった。

そのこと自体は悪くない。ただ、それらしい出来事が見つからない時にプレッシャーを感じるようになった。更新が迫っているのにネタが見つからないことが、回数を重ねるごとに増えた。当たり前のことだ。過去から引っ張ってくるエピソードにも限りがある。書けば書くほどネタは尽きていく。

ネタがないんだから書くのをやめよう♩という至極真っ当な判断ができる人間だったら良かったのだが、それをするには私は書くこと自体があまりにも好きすぎる。書きたいことがあるから書いているのではなく、書きたいから書いている。
とはいえ、無理やりにネタを引っ張り出すことについて、最近なんとなく不健全さも感じている。
つんと軽く突けば血が吹き出すような、感情でぱんぱんに膨らんだ出来事ばかりを探すのは、書くことが目的であっても長続きしないのではないか。書くことをずっと続けたいのなら、もっと平常心で書くべきなのではないかと、ここ数日はそんなことを考えていた。

本当は更新を始めた当初から分かっていたことではあった。ただ、そのためには自分の中にあるネタを引っ張り出し切る必要があったのだと思う。すっからかんになって、もう書けることがないなと思って初めて、平常心で書いてみるか…という気持ちになれた。

平常心で書くとなると、どうすべきなんだろうな。今まで血が吹き出す場所ばかりを探していたから、また別の頭の使い方をしないといけない。でも、別の頭の使い方をし始めた時の生活が一番面白い。本当に平常心で書けるようになったら、更新を週3回ではなく毎日にしても良いのかもしれない。

引き続き質問箱で質問を募集しています。書くことに困った時は質問を元に文章を捻り出しておりますので、お気軽にどうぞ。全ての質問に目を通しています。

Big Love…