見出し画像

受験生の夏、一度きりの夏

試験まであと5日です。どうも、noteの更新日です。試験勉強ばかりしていてあまり書くこともないので今日は短めです。

今日は午後休をもらって勉強していたんですけれど、試験が間近に迫ってくると、知らなかった知識を新しく得ることが快楽ではなくストレスになるので良くないですね。
試験本番で”知らない!何言ってるのか分からない!”って思うよりは良いんだろうけれど、試験直前に”こんなに私は知らないことがあるのか…”と思い続けるのは普通に自己肯定感が下がりますね。

本来知識を得るのは楽しいことなのに、試験が迫っているせいで知らないことをマイナスと捉えてしまうのはものすごく損している気がする。勉強の楽しさが、試験のせいで明らかに損なわれています。

過去問を解いたら合格圏内っぽかったけれど、予想問題集を解くと難しくてガンガン間違えるので今日は自分の不出来さにひたすら苦しめられていました。
大学受験の頃って試験直前にここまで苦しんでいなかった気がします。思い出すのは高校3年の夏休み、お茶の水にある旧文化学院(今はもう跡地になっていて建物がない)が自習室として解放されていて、私は夏中そこで勉強していました。
煉瓦造りの建物の壁には蔦が這っていて、近くの真新しくてツヤツヤとした白い大理石調の駿台予備校の建物とはかなり趣が違い、私は文化学院の建物で勉強するのが好きでした。

朝の10時くらいに文化学院に着いて、昼になったら持参したお弁当を食べて、夕方に敷地内の自動販売機でゼリー状のみかん味の缶ジュースを買って飲むのが唯一の楽しみでした。JTから発売されていたみかんゼリーだったけれど、もう終売しているそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%93%E3%82%84%E3%82%8A%E5%A4%8F%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%82%93%E3%82%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

今ほど夏も酷く暑くない時代でした。中庭のベンチで冷たくてぷるぷるしたみかん味のゼリーを缶の飲み口から吸いながら、屋外でひとりぼんやりするのが私なりの休憩時間の過ごし方でした。あまり缶を振らずに飲むと、飲み口からゼリーがなかなか出てこなくて苦労しました。
果肉がたっぷり入っているわけでもなく、ただただオレンジの味がするだけの缶のゼリーだったけれど、液体よりは固形に近かったからお腹が満たされる気がして高校3年生の夏、毎日飲んでいました。もう終売していると知ると2度とあの味を感じられないんだなと思って何だか寂しいです。

一応駿台に在籍していたのですが、駿台は大手だから友達とつるんでいる子が多くて、私はその雰囲気が苦手でした。文化学院は夏だけは駿台の自習室分院として解放されていて、あまり人もいなくてかなり快適だったように思います。

高校3年の夏、私は脇目もふらずに勉強していたわけですが、34歳の夏がどうかというと、それはもう悲惨な有り様なわけです。30分は勉強をしよう!と思って椅子に座っても、5分も経つとTwitterのタイムラインを見たくて仕方がなくなってしまう。スマホを触りたくて指先がうずうずする。

今回私が受けようとしている試験の一コマあたりの試験時間は2時間程度なんですが、2時間集中して椅子に尻を落ち着けていられるのかが何より不安です。悩みの程度があまりにも低すぎる。自分の知識量が合格点に届くかよりも、落ち着いて座っていられるかが一番の心配です。

不安要素は他にもあります。幼稚園に通っている3歳児の別クラスでは新型コロナウイルスに罹患する子どもが多発しており、娘も再びいつ罹患するか分からない状況です。仮に娘が新型コロナウイルスに罹患すると、私は即濃厚接触者となり、試験を受ける資格を剥奪されます。
新型コロナウイルスの流行のせいで仕事は常に忙しいし、試験勉強の時間は碌にないし、家に帰れば帰ったで3歳児の世話があるしで生活の全てが私の試験勉強を意地でも阻止しようとしているような状況です。

思えば、受験生の頃は何も考えずに勉強だけしていれば良かったわけで、しかも記憶力もやる気も今と比較すれば段違いで、本当に試験勉強のためだけに魂を燃やしていたなあと思います。
私はこれといって取り柄のない地味な高校生だったから、受験でくらいは一旗あげたいと思っていました。今までの人生でスポットライトが当たったことがなかったから、志望校に合格して周りをあっと言わせたかった。そういう虚栄心だけで突き進んで志望校に運良く合格したけれど、34歳の私にはもうそんな力はないんだなあと思うと、なんだか複雑な気持ちです。

文化学院の中庭で飲んだオレンジ味のゼリーを思い出しながら、34歳の私は酒をちびちびやりつつ子どもが寝た後の僅かな時間で勉強をしている。あの頃の私にとっては、勉強は全力でやるものだったのに、今の私は様々な障壁に邪魔されながら、なんとか最低限の勉強時間を確保しています。
大学受験は落ちれば私の人生を大きく変えただろうけれど、今回の試験は落ちてもせいぜいちょっと恥ずかしいだけで私の人生を大きく変えたりはしない。こうやって人間は加齢と共に鈍感になっていくのかもしれないなあと思いながら、夜更けに酒を煽りつつ試験勉強をする日々です。

Big Love…