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ライブハウスの仲間の話

【ライブハウスのフロアでの出会いについて振り返っているだけの雑文】

 ライブというのはひとりで参戦するものだと思っている。

 そもそもライブはステージを見にいくものだ。アーティストの歌を聴きにいくものだ。だから極端な話、自分とアーティストが居ればそれで良い。もちろん友人同士で体験を共有するという楽しみかたはあろうが、少なくとも私にとっては、ステージに集中することのほうが大切である。同じ理由で、美術館も映画館も、基本的にはひとりで行く。

 開演すれば、もうステージしか見ていない。音や姿を浴びて、耳と目に焼きつけることに全神経を注ぐ。音楽が誘ってくれたら踊るし拳をあげる。それがライブの楽しみだと思っている。

 とあるバンドのライブに通うようになって何年も経った。ライブといっても何万人規模のホールではなく、キャパシティ200人ほどのライブハウスである。ステージの全景がよく見える。なんなら演者と眼が合う。そういう規模の会場だ。
 さて、するとどうなるか。
 ステージだけでなく、フロアの客もよく見える、のである。

 世の人は、案外ステージだけではなくフロアも見ているらしい。気がつけば、「いつも来てますよね」といった調子で話しかけられることが増えた。

 とにかく人の顔と名前を覚えることが苦手だ。というより顔を覚えるのが苦手だ。私はどうやら文字や言葉でものを記憶するタイプらしく、言語化できない情報にはすこぶる弱い。人の顔の造形、地図上の都市の配置、香りや味、などなど。よほど特徴のある人ならともかく、いつまで経っても顔と名前が一致しない、ということがよくある。
 だから驚いたのだ。ライブに足繁く通うといっても、せいぜい月に数回だとか、そのくらいの頻度である。しかも会場は全国まちまちだ。例えば東京と限定すると、数ヶ月開くことも普通である。おまけに客同士は顔を合わせて話すわけでもなく、フロアに散り散りで好き勝手に遊んでいる。いわば無名のエキストラである。その程度でしか目にしない人間の顔を、個体識別しているひとが居るということが衝撃だった。

 一度だけ、予約していたライブを欠席してしまったことがある。そのとき、常連客のひとりに「いつも来ているあの人がいない」と言及されていたことをあとから知って驚いた。人の顔をそんなに見て記憶しているものなのか、と。余談だが、今では友人である。

 初めは戸惑ったが、次第に打ち解けるようになった。ひとりふたりと言葉を交わすようになり、ライブ後の感想を共有する仲間が増えた。

 私は記憶の大部分を言葉に頼っている。だからライブが終わったあと、怒濤の勢いで記録をつける。書けば、言葉にすれば、覚えていられる。書かなければ忘れてしまう。だから思い出せるうちに、言葉にして繋ぎ止める。おかげで終演直後のTwitterは怪文書で溢れかえっている。恐らくフォロワーの大半は既に慣れていると思うのだが、知らない人が見たら自然災害である。いつも大変申し訳ございません。
 先日遂に「お話したことはないけれど、絶対にこの人が萌葱さんだと思いました」と笑顔で挨拶されて頭を抱えた。一体なにが滲み出てしまっていたのだろう。現場では一介のガチ勢でしかないはずなのに。私の額には怪文書が貼ってあるのかもしれない。

 ひとりでライブハウスに通いはじめ、今もひとりで遠征する。別に誰と待ちあわせることもなく、待機列にはひとりで並ぶ。けれどフロアには馴染みの顔が増えたし、感想を言いあったり、好きな曲が演奏されて良かったねと祝福したり、全然ライブと関係ない話をしたり、またねと言って別れたりする。
 ああ、ライブってこんな楽しみもあったんだな。今更ながらに納得した。

 アーティストと仲間たちに会いに、ライブハウスへ行く。
 ステージもフロアも楽しいというのは、幸せなものである。

 できれば私もあなたを覚えたいので、名前を教えていただけると嬉しい。

お気に召したらサポートいただければ嬉しいです!