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「ことば」とは何か?

「ことば」について、哲学者苫野一徳氏がVoicyで解説していた。これによると師匠の竹田青嗣が『言語的思考へ』で言語の本質について解明されているということでした。

2024年4月26日付で投稿した記事ウィトゲンシュタインと言語哲学(分析哲学)では言語の数学化を目指していた論理実証主義者の起点となった前期ウィトゲンシュタインの理論は後期ウィトゲンシュタインによって否定されたと記述しました。

現実世界と言語世界が厳密に対応するということを前提にすると、そこに無数のパラドクスやアポリアが生じることを『哲学的探求』において後期ウィトゲンシュタインは徹底的に検証した。その結果、どんな厳密論理主義の試みも原理的に成立不可能であることを論証した。

ウィトゲンシュタインの論考は下記のようなものです。

  • 言語というものは多義性を帯びているので、語というのものがある特定の対象を名指すことはできない。

  • 言語が人間の内面(観念、情動、痛みなど)を直接的に表現することはできない。

  • 言語規則を絶対的に規定することはできない。

言語的ロジシズムを否定することでウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と「家族類似性」という概念に象徴される場所に立つことになった。

「言語ゲーム」と「家庭類似性」という概念を竹田は次のように説明する。

「言語 ゲーム」 という 概念 の 内実 を ひとことで いえ ば、 言語 とは 厳密 な ルール の 体系 では なく、 プレイ が 行なわ れ ながら その つど ルール が 暗黙 の うち に 提示 さ れ 承認 さ れる よう な、ある ゆるやか な ルール ゲーム で ある、 という こと に なる。

また「 家族 的 類似 性」 とは、 あらゆる ゲーム は その よう な 厳密 な 規定 不可能性 という 点 で のみ 似 て いる という こと、 つまり、 その ルール の あり かた は 決して 厳密 に 規定 でき ない という こと を 意味 する。

竹田青嗣. 言語的思考へ 脱構築と現象学 (講談社学術文庫) (p.94). 講談社. Kindle 版.

「言語ゲーム」という概念は、ウィトゲンシュタインの哲学的モチーフが言語の形而上学の根本批判にあったことを竹田は評価する。だが、現代論理学の前提のもとで「言語の謎」が不可避であることを明らかにしたが、解明したわけではないと言う。

では、竹田としては、どのように解明したのかについては、次回とします。

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