褒める叱るのその先に


いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。



「褒める子育て」という言葉が出始めて、どれくらいの年月が経ったでしょうか。教育界でもこの言葉はもはや当たり前のように使われていて、これに関する書籍も数多く見かけます。


褒めるということがクローズアップされるということは、それまでは「叱る」「怒る」ということが、教育あるいは子育てにおいて当たり前だったことの裏返しでもあります。

しかし一向に「褒める子育て」という言葉は消えません。つまり今でも「叱る」「怒る」が一般的だということです。

では「叱る」「怒る」ということは悪いことなのでしょうか。もし悪いことであるならば、なぜなくならないのでしょうか。そこで僕は考えました。

出した答えは

「叱ることにも教育的効果がある」

ということです。さらには、この本質を捉えることが、「褒める」を最大限に引き出す秘訣なのではないかと考えました。


今日は、僕の叱り褒めポイントを追究してみました。お付き合いいただけると幸いです。





僕の教育観として抗い難くあるものは、「社会に貢献する人を育てる」という想いです。僕の教育や子育ての全てはこの目的に向けて行っています。


それ故に、最優先にされるべきは「社会の中での立ち位置」です。ここでは社会の中でのあり方が問われます。そしてそれは住んでいる国や地域のしきたりやルール等に縛られます。つまり今の日本社会が求めていることに限定せざるを得ないところがあります。


それが良いか悪いかということをここでは述べません。ただ、今の日本社会の中で必要だと思うことをポイントにしていきたいと伝えたかっただけです。


周りくどい言い方になりましたが、ここから本題に入ります。



僕の教育活動のポイントは

「叱る6割 褒める4割」

という感覚があります。自分の息子たちやクラスの子供たちに対して、僕は叱ることの方が多いと思います。

叱るポイントは
◯時間を蔑ろにする行動
◯他者の迷惑になる行動
◯他者を傷つける言動
◯自分の役割の責任を果たさないこと
◯ルール違反
◯マナー違反
◯卑怯な行動

です。このポイントの多くが「他者と関わること」です。僕は本人の責任になるようなことにはあまり口出しはしません。他者に何かしらの不都合が起こる可能性のあることを叱ります。


僕の褒めるポイントは、これらの叱るポイントと逆だと考えていただけるとよいです。そしてこの時、最大にして最強の褒め言葉を多用することになります。


その言葉は

「ありがとう」

です。もうこれ一択でよいと言っても過言ではありません。何かできたら「よくできたね。」とか「すごいね。」と伝えるよりも、何も考えずに伝えても相手の心に染み渡っていく言葉は「ありがとう」しかありません。


具体的場面で説明します。


子供が、食べ終わった食器を片付けなくてイライラした経験をお持ちの方も多いでしょう。その時つい言ってしまいがちなのが「早く片付けなさい!」です。これは僕もよく言います。


子供はこれを言われると、反抗したり、やる気を失ったりするのであまり効果的な言葉ではありません。

ただこの後の子供の行動によっては、この叱り言葉が最大限に効果を生み出す可能性も秘めています。

この後子供がもし、渋々であったとしても自分で片付けた時にこう伝えてください。

「片付けてくれてありがとう」

これで先程の失敗は帳消しになります。さらに効果的なのは「片付けてと言ったことを聞いてくれてありがとう。やっぱりあなたならできると思ったよ。」と付け加えるとよいのかな、と。


また別の機会にも子供の様子をよく見ておくとよいです。すると子供が自主的に片付けをしてくれることがあります。その時すかさずこのように伝えます。

(驚きながら)「えー、食器が片付けられてる。なんて美しいんだ。これはあなたがやったの!?超嬉しいんですけど〜。ありがとう!」

と。ここは演技でも何でもよいので、大袈裟にいく必要があります。なぜならここで子供たちは学ぶからです。

「ママやパパは、自分が片付けをしたら喜んでくれる」

ということを。自分の食べ終えた食器を片付けることは、小さな社会貢献です。

「自分の行動が誰かの役に立っている」
「自分にも人を喜ばせることができる」

この思いをもたせることが、叱る褒める最大のポイントです。


逆を言えば、行動が独りよがりだったり、他者の迷惑になったりするものは、叱るポイントになるということです。



大切なことは、教育する者のベースに「個人<共同体」の意識をもつことです。常に他者との関係で叱ったり褒めたりすることで、子供の社会性を伸ばすことができると僕は考えています。


一番良くないのは、自分基準で褒めたり叱ったりすることです。感情的になると、他者視点を忘れた言動をとりがちになります。

例えば、昨日は保育園の帰り道にお菓子を買ってあげてもよいと言ったのに、今日はお菓子を買いたいと言ってきた子供を怒鳴りつけるようなことです(僕の体験談)

これは判断基準が「自分の気持ち」なので、他者には理解できないことがあります。昨日は機嫌が良かったから買ってもらえたのに、なぜか今日はキレられた。このように日によって基準が変わると、他者の顔色をうかがいながら行動するようになり、ゆくゆくはその子自身が同じような行動をとってしまいます。


個人が判断基準になるのは危険です。なぜなら、人間は完璧ではないからです。その人がどんなに優秀な人であっても、間違うことがあります。だから完全に信じ任せ切るのは危ないのです。


その点、判断基準を客観的(社会的)視点に置いておくとその危険性は和らぎます。社会からの要請を子供に伝えていくことが大切です。



とは言え、これをゴリゴリに押し進めると身動きが取りづらくなるのも確かなことです。社会的要請に従い続けると、自分が何をしたいのか分からなくなります。


叱るポイントで叱っていると、子供たちも修正してくるようになります。すると激しい逸脱行為をしなくなります。また逸脱行為をしたとしても、少し伝えるだけで正しい行動に戻ることができるようになります。


僕は「褒めて伸ばす」タイミングはここだと考えます。ある程度の社会ルールや行動が身に付いた段階で褒めると、それが一気に加速するように感じています。


つまり、第一段階は社会にアジャストさせること。第二段階はその行動を価値付けすること。第三段階は建設的な行動を繰り返すこと。僕は第二第三段階こそ、褒める必要があると考えているのです。


中学年や高学年を担当することが多い僕ですが、低学年までにしっかりと躾られてきた子供たちは、激しい逸脱行為をあまりしません。すると、建設的な行動が見えやすくなります。だから褒めることが多くなります。


僕がもった学級では、子供たちに「ありがとう、助かるよ。」という言葉をかけることが多いです。進んで行動する子、時間を守って行動する子、人のために行動する子、そういった子が多いからです。



僕が一番よくないと考えるのは、低学年で中途半端に躾されないで来ることです。ここで「個性尊重」などといって、身勝手な行動を叱らないことで大きな事故に繋がります。


もちろん第一段階でも褒める効果はあります。それは「できたら褒める」を繰り返すことです。叱った後子供が修正した場合には、即時に褒めることが効果的です。

でもここで気を付けなければならないことは、大した行動でないことを褒めたり、競争を煽ったりする褒め方です。大した行動ではないことを褒めると、「こんなものでよいのか」と子供が思い、本来修正させたいところまで行き着かなくなる場合が多いです。


だから僕は、その年齢相応でできて当たり前のことを褒めることはありません。


大抵、鍛えていないからできないだけで、やらせればできるようになります。厳しくても、自分の力でやらせる方が早く身に付けさせることができます。


最近は特別支援系の子供が増えたように思います。ただ僕が思うに、本当の発達障害の数は昔と変わっていません。年齢相応の躾が為されていないことによって、「発達障害のように見える行動」をする子が増えたのだと考えます。


つまり、しっかりと「叱る」ことができていないために、おかしな行動をする子が増えているのだと思うわけです。



だいぶ長くなってしまったので、今回のまとめをします。


僕が大切だと考えることは

1.まず第一段階は「叱る」ことから入る。社会に適応させる。
2.できたことを褒める。
3.褒めてできるようになったら、当たり前だと認識させる。
4.第二段階は、行動の価値付けをすること。具体的に言えば、その行動に対して「感謝の言葉」を伝えていくこと。
5.進んで行動する子をどんどん褒める、認める、感謝を伝える。
6.建設的な行動を価値付けしつつ、繰り返しその良さを伝えていく。

です。叱ることを厭うことなく、褒めることを手放しで称賛することなく、ただ目の前の子供をより建設的な人へと育てていくこと。叱る褒めるは手段であって目的ではないことを自覚すること。そういったことを意識しながら教育活動や子育てをしていくとよいのではないでしょうか。


世の中に広まっていることが正解とは限りません。自分の感覚を信じて行動していきましょう。


最後までお読みくださりありがとうございました。

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