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なんてことない北海道生活を振り返る

旅行日記をnoteで書いていて、ふと他のことを書きたくなったので北海道で過ごした4年間の大学生活を振り返りたいと思う。ちょうど社会人2年目が終わろうとしていて、良い具合に俯瞰で思い出せそう。
想定読者は自分。適当に忘れたくないことを記録するだけ。


導入:一浪の末、大学生になる

忘れもしない、都留文科大学の中期試験を終えて博多駅に着いたとき。ちょうど北大の合格発表時間になり、人混みの中で合格者リストを見た。悟ってはいたけど自分の受験番号はなく、駅のコインロッカー(たぶん今はない)の横で泣いていた。さすがに目立ちすぎたので、筑紫口のコインロッカーの隙間に移動して、挟まって30分泣いた。

どんな顔で家に帰って親の顔を見ようか、と思った。結果、母も父も少し悲しそうだけど、すごく優しい顔で残念だったねと。母は、自転車で帰ってきたタイミングで迎えてくれたので気まずくはなかった。もともと涙もろいたちなので、1週間断続的に涙が出ていた。

筑紫口のコインロッカー。この隙間。画像はこちらから(https://www.naruhodo-fukuoka.com/hakata-locker)

落ちた瞬間やり返したいという思いが自然と湧いてきたので、浪人させてほしいとお願いし、もう1年頑張りな~、と言ってもらった。高校は自称進学校とも言えないくらいの高校で、浪人する友人も少なくその当時は不安だったのかもしれない。間もなく3年間使ったiPhone5を解約した。担当の定員さんはあっさり解約させてくれて、もっと引き止めて欲しいな、とか。こうして、足りなかった0.44点を埋めるべく、1年間受験生活を延長した。

備忘:二人忘れられない人がいる

1人目は、体育会の部活をしていた同期。部活に関しては触れるつもりはないが、私は大学生活の多くの時間を体育会部活のスタッフとして過ごした。
週5の部活だったので多くの時間を彼と共有したが、彼が不誠実だ、と思った瞬間が全くない。私が落ち込んだときや共感して欲しいときは、理解を示しつつも客観的に言葉をかけてくれた。もっと慰めろ?!と思ったことも多いけど、何を言われても腑に落ちた。4年間を通じて、一番の私の理解者だったと思う。

2人目はゼミの教授。これはまだ3年経っても心臓が痛いので、ひとことだけ。卒論シーズンに、卒論の向かい方と社会人になってからの仕事の向き合い方は同じだ、と度々活を入れられたが、本当にその通りだと思います。

忘れられない人がいる、というほど、時間も経っていないし、全く面白いことが書けなかった。

今後:三十六計逃げるに如かず

(面倒な事からは手を引いて逃げるのが一番よい、というたとえ。)

大学時代は積極的に苦手なことから逃げていた気がする。これじゃダメだ、いつかなりたい自分になるんだと、逃げると同時に受け入れて立ち向かってみる、ということをしていた。

ただ、真正面から考えて向き合うことも大事だが、全部くらっていたら社会人として健康で生きていけないとやっと学んだ。程よく肩の力を抜いて、少し苦言を呈されたら、さらりと華麗にかわそう。打算的にうまく楽しくたくさん本を読んで好きなことをして生きよう。

札幌で就職したいと当初は思っていたが、結局、関東で社会人3年目に入ろうとしている。札幌にはもう住むことはないだろうと思う。
今後、札幌に住んで大学時代の思い出が上書きされるより、そのまま保存しておきたい。たまに旅行か仕事で行って、懐かしもう。


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