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大切なことって面倒くさい

私にとって激動だった2021年がおわり、年が明けて2022年に。

例年、誕生日を迎える前日と同様に、年の暮れにはもの寂しい気持ちになる。
しかし、今年は不思議とスッキリと2021年に別れを告げられ、清々しい気持ちで新年を迎えていた。

年が明けるからと言って何が変わるわけではない。

それはその通りだけど、新年を迎えて気づいたことが一つあった。
それは、年賀状だ。
実家に帰省していたので当たり前に年賀状が届く。
何年も会ってない人たちの近況が、メッセージ付きでわかる。
写真なんかが付いてるとなお嬉しくなるし、家族で話題になる。

そんな中、私宛に届いた年賀状は一つもなかった。
これは、私が送らなくなってしまったから当たり前ではあるが、少し考えさせられてしまった。
めんどくさいと思っていつの間にか送らなくなってしまった年賀状。
もしかすると、軽視するべきではなかったのかもしれないなぁ、思ってしまった。

なぜならば、簡単には会えなくなってしまったけれど不意に会いたくなる人が、年々増えていくからだ。

連絡をとる理由

突然不意に、「あの人、元気かなぁ」と思うことは誰しもあるはず。

私は不意に、学生時代のバイト先でお世話になったパートのおばさんのことを思い出していた。

大学に入りたての頃、スーパーに併設されているパン屋さんでバイトをしていた。
働くのは初めてで、社会をよく知らない19歳だった。
学生だった私は、授業や部活が終わった後に働いていたので、いつも夕方から閉店までの締め作業のシフト。
ほとんどのパートのおばさんたちは、家庭があるので夜のシフトにはみんな出たがらなかったが、その人だけは人手が足りないからといつも一緒に夜遅くまで働いていた。

彼女を簡単に説明するならば、本当に仏のような人だった。
いつも笑顔で温厚で、とにかく温かい。

シフトを変わって欲しいと頼まれたら嫌な顔せず変わるし、忙しければ残る。
店長が無理なことを言っても、「ええ〜?!」と言いながら押し切られてしまう。
(無理矢理延長させられたシフト中、「旦那さんと約束したから!」とカニチャーハンを作りにお店を抜け出していたのは笑ったけど)

そんな彼女の旦那さんは、驚くほど彼女にそっくりだった。
いつもニコニコしながらスーパーのカートを押し、パンを買いがてら彼女の様子を見に来ていたのが微笑ましかった。

閉店時間になり締め作業をしていると、売れ残った半額のパンをいつも買い占め、それをそのまま一人暮らしを始めたばかりの私にいつもくれるのだった。
パンが大好きな私は、レジ袋いっぱいのパンが入った自転車のカゴを眺めて喜びいっぱいでいつも帰宅していた。(食費を相当助けられたなぁ)

パンがもらえるから、という理由に限ったことではないが、優しく温かい彼女と一緒のシフトがいつも楽しみだった。
たかがバイトで大袈裟かもしれないけれど、「社会」というものを感じる世界線の中で唯一安心できる大人だった。

そこで半年ほど働いていたが、私が勤務中に不慮の事故に遭って怪我を負い、それがトラウマとなって復帰することができずそのまま辞めることになってしまった。

事故の時も最初に気づいてくれたのは彼女で、病院まで付き添ってくれた。
ここで書くのを躊躇うほどの大怪我で、日常生活の何もかもができなくなってしまうほどの事故だったので現場は大混乱だった。
非現実的な状況に、不思議と私が1番冷静だったことを覚えている。
彼女は私の怪我を見て顔面蒼白になっていたが、すぐに指をギュッと握ってどうにかしようとしてくれたし、ずっとそばに居てくれた。

バイトを辞めた後も時折、「パンがたくさん余ってるんだけど食べてくれない?」と連絡をくれた。
事故のトラウマでスーパーに足を運ぶことさえ躊躇っていたが、連絡があると足を運んだ。
彼女に会えることが嬉しかったのだ。

最後に会ったのは、就職先が決まった時のこと。
お世話になった彼女に、春から東京に引っ越すことを報告しにパン屋へと向かった。
すると、まだシフト中だったのにも関わらず、私が好きだと言っていたパンをこっそりと買って持たせてくれた。
まだ割引されていなかったのに、前と同じように袋にたくさん買ってくれた。

その時にふと、当時まだ未熟で世間知らずな子供だった私は、彼女に守られていたのかもしれない、と思った。
彼女に出会うことができた自分は、なんて幸運な人間なのか、とも。

感謝しても仕切れないという思いは日に日に募るもので、これは現在進行形だ。

お変わりありませんか?が難しい

卒業後、その土地を離れるときにLINEを入れたのが最後なので、連絡を取らなくなって3年が経った。
それでもふとした時に、あの優しい眼差しと与えてもらった愛を思い出す時がある。

「お元気ですか?変わらずパン屋さんで働いていますか?」

たった一言なのに、どうにも難しい。
急にLINEしても誰だかわからないかも、なんてことも過ぎる。

そう思ったときに、この世の中に年賀状がある意味を痛感した。

彼女に限らず、お世話になったのに今はどうしているか分からない人が、たくさんいる。本当に、たっくさんいる。
年賀状を送る面倒くささを怠らずにいれば、今どこに住んでいるのか、元気でやっているのかを当たり前に知ることができたし、私自身のことも自然と報告できたのに。

私が年賀状を送らなくなってしまったのは、自分は送ったのに相手から届かなかったことが増えたから。
「送らなくなった人が増えているから、自分もそうしよう」
と思うのは自然なことだった。
そして、中学生くらいだった当時の私にはちっぽけなプライドみたいなものがあって、自分だけが必死になって送っているのがカッコ悪いとも思ったのだ。

一度送ることを辞めてしまうと、こちらにも届かなくなってしまう。
めちゃくちゃな努力と体力が必要だ。
今になって、年賀状を軽視して手放した10年前の自分に激しく後悔してしまった。

今の自分だったら、「そんなプライドなんかどうでもいい!相手から届かなくても、送りたいから送るんだ!」と思えるのに。
時代の流れとともに失うものって、多いものだと感じ始めている。

もらうと嬉しいんだ、これが

冒頭で、年賀状を一通も受け取っていないと書いたが、実は実家ではなく現在暮らしている家に一通だけ届いていた。

その年賀状は、前職の同期から。彼女は結婚し、可愛い可愛い男の子を出産して育休中だ。
年賀状には、愛おしい家族写真と、見慣れた文字で書かれたメッセージがついていた。
それを見た時、言葉にできない嬉しさとじんわりとした温かさが胸に広がり、何だか「あなたのことを大切に思っていますよ」と言われた気分だった。
年賀状をもらうのってこんなに嬉しかったのか、と気付かされた。

年賀状は、遠く離れてしまったけれど自分の人生に関わった大切な誰かのことを、年に一度思うことができる最強ツールだ。
人と人の縁をつなぐものとして、年賀状の右に出るものはないだろう。

来年は年賀状を送ってみようかな。
何歳のときに出会ったとしても関係なく、大切な人たちに。
きっとほとんどが住所不明で返送されちゃうだろうけど…
届いたらラッキー!くらいの心持ちで、ね。
失った縁は今更取り返せないけど、やらないよりやってみたい。
めちゃくちゃめんどくさいけど、大切なことはめんどくさく出来てるっぽいから仕方ない。

今度実家に帰ったら、昔の年賀状を掘り出してみようっと。

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