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私の口から言うべきじゃなかったのに

歳を重ねるほどに、ことわざってすごいなぁと感じることが多くなってきた。

まぁ、日本に限らず様々な国や言語において、ことわざ的なポジションの比喩?のようなものが存在してるくらいだから「気づくの遅くない?」とも言える。
ことわざの面白いところは、年齢や状況によって捉え方も感じ方も変わるところ。
使い方も人それぞれなのに、誰もが共通認識で意味合いを理解できる優れ物。

その中でも最近、口にする回数の多いことわざがある。
その理由は、自分の身に起きて初めて、大切な友人があの時どう思っていたのかに気づいたからだった。

私にしかわからないこと

唐突だけれど、新卒から2年と数ヶ月勤めた会社を退職し転職する決意をした。
この決断は簡単なものではなかったし、正直転職活動だってしんどかった。

現職について詳しく書くつもりはないけれど、社会一般的に見れば花形の職業だった。
入るまでに相当努力したし、受かった時にはそれはそれは嬉しくてちょっぴり自慢だった。
親はもちろんのこと、親戚や友人も喜んでくれて、「すごいねー」とか「かっこいい!」なんて言われたりした。

仕事も向いていると思えたし、毎日刺激的でそれはそれは楽しかった。
自分で言うのも何だけれど、上司や同僚から認められている実感だってあったし、一生懸命にやってきた分信頼され、地位も築いてきたところだった。

「それならなんで?」

と言う声が聞こえてくる気がする。
私だってそう思う。それはそれは、思う事だらけだ。

まず3年はやるべきだとも思うし、仕事も人間関係も順調だなんて、そんなの当たり前のことじゃない。
誰もが簡単に経験できる訳じゃない仕事を手放すのはもったいないことも、自分が1番感じている。
そして何よりも、ずっと目指してきた人をも差し置いて私がもらったチャンスなのも重々承知している。

それでも、だった。
どう頑張っても決定的に超えられない壁が、一つあった。
長い目で見て、続けられないと判断せざるを得なかった。

苦渋の決断ってこういうことを言うのか。

そこから、やりたいことに目を逸らさず転職活動をして身をすり減らし、ようやく納得のいくところを見つけて運よく内定をもらえた。

ここまでで十分、辛くてしんどい。
「自分で決めたんだから」とか言う言葉で丸め込めるような、一筋縄でいくものじゃなかったから。
それでも前を向いて進もうと自分なりに腹を括った。

初めて知った痛み

本当にしんどいのはここからだった。

まずは直属の上司に退職を申し出る。

「どう呼び出そうか。いや、まずなんて切り出そう。」

「どこまで聞かれるかな。あのことはどう伝えたら相手を傷つけず、かつ納得してもらえるだろうか。」

そんなことをぐるぐる考えては、なかなか連絡できなかった。

ふつふつと押し寄せる緊張を抑え、何とか上司に打ち明け承認をもらうと、
今度は“私の退職““話題の的“に変化した。
退職していった人を見ていて懸念材料だった“みんな大好き誰かの噂“が、見事に私のターンとなってやってきた。
上司に伝えた、「なるべく噂とかになりたくないので、内々で進めたいです。」なんて願いは無理なものだった。

誰かの耳に入れば最後、その情報は信じられない速さで知れ渡る。
直接自分の言葉で伝えたいと思っていた人にも、誰かの軽い気持ちと言葉によって望まない形で知れ渡る。

誰かに会うたびに声をかけられ、その都度心臓が飛び跳ねる。
心の中でつぶやく。

「説明する心の準備ができないままに言われた時、なんて答えたらいいんだろ」

そしてそのあとやってくるのは、この気持ち。

「次は誰に言われるんだろう」

誰もが何かを言いたそうにしてるように見える。

もう、誰かと話しをすることが怖くなってしまった。
誰とも話しなんてしたくない。

大好きなみんなに感謝を伝えたいはずなのに、残りの時間が思いがけず苦痛になってしまった。

みんな誰もが

誰かの話、噂が好きなわけで。
私だって例外じゃない。

「〇〇さん辞めるらしいよ」

とか

「〇〇さんて結婚したの?!」

とかを今まで興味本位でやってきたのは事実だ。

そりゃ、誰かが辞めるってなったら気になる。
できることなら、お礼を伝えたいし別れを惜しみたい。
誰かが結婚するなら祝いたいし、子供に恵まれでもしたらもちろん心から祝いたい。
でもそれって、自分の気持ちでしかないわけであって公にしたくない気持ちがよくわかった。

私にとって1番大切な同期のことを思い出している。

彼女は社会人2年目の夏に素敵な彼と結婚し、秋頃にはめでたいことに第一子を授かった。
しかし、結婚のことはもちろん妊娠のことも彼女は隠したがったのだった。
私はそんな彼女の気持ちを汲み、頼まれた通り誰にも言わなかったが、内心ひどく慎重なように思えた。(それでも勘のいい人はいるもので、どこからともなく噂になり、彼女はそれにもひどく落ち込んでいたのだけれど。)

「こんなにおめでたいことはないし、誰が聞いても祝ってくれることなのになんで隠すんだろう。」

この疑問は、自分の身に起こってみてようやくわかった。

みんなとにかくゴシップに飢えていて、みんながワッと驚く話題を探している。
その中で1番刺激的な話題が誰かの退職で、その次が結婚と妊娠だった。
休憩室や隙間時間で飛び交う噂と、勝手な推論。
本人から聞いてもいないのに「〜らしいよ」で事実は自然と婉曲され、ねじ曲がる。

こうして、ただただ誰かの好奇心に消化されていく感覚は、心底気持ちの悪いものだった。

私自身、1番大切な同期である彼女のあれこれを話してしまったことがあった。
まだ恋人同士だった2人の関係や相手のことを同期に話してしまったことがあり、そこから水の波紋のように、相手は何をしていてどんな人なのかが結婚後に後から後から広まってしまった。

後になって、自分のした事の重大さに気づき、『口は災いの元』であり、自分の軽はずみな発言が誰かを傷つけてしまうという事実を痛感したのだった。

今回、自分の身に起きてみて感じたことを踏まえ、何かを誰かから打ち明けられた時には、立ち止まって考えたい。

「これって私の口から言う必要があることなのかな?」

いや、違う。厳密には

「これって、私の口から言っていいことなのかな?」

だった。

相手は、”私だから言ってくれた”ということを忘れずにいたい。
大切なことほど、自分の口から伝えたいと心から思う。

そして、本当のことは。
本人にしかわからないものだから。

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