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自分が自分を好きでいるために。

突然だけれど、一つ聞いてみたいことがある。

「人種問題について、皆さんはどのような考えを持っていますか?」

様々な意見があるだろう。
もしかすると、あまり意識したことがない人も多いかもしれない。

私の場合。
大前提として、人種差別は絶対にしてはいけないと思っている。

わざわざ言葉にするまでもない主張だろうか。
昨今では、多くの人種問題が世界中で取り上げられている。
誰しも、記憶に新しいのではないだろうか。
そして、インターネットやSNSの普及も手助けとなって、世界中の多くの人の声が聞こえてくる世の中だ。
私のように考えることは、ごく自然なはずだ。

その大前提を元に、私はこうも思っていた。

人種やその人のルーツについてネガティブに考えることをしないべきだ、と。
人種やルーツはあくまで個性だと捉えて、敢えて意識しないようにし、わざわざ言及する問題ではない。
人種なんて関係ないと、人は人でしかないと、そんなことを思っていた。

人種問題がネガティブに働くことが多い問題であることを顧み、ポジティブなものに転換していけたらいいな、とも思っている。

この意見について、どう思うだろうか。

私は、つい最近まで、この考え方でいることが正義であり、世の中を良くする一助になると信じていた。
なぜなら、世界平和とか、みんなが幸せに暮らすとか、そんなことを真剣に望んでいるからだ。

しかし、先日起こったある出来事をきっかけに、
日本人の両親の元、日本に生まれ育った私が
そう信じ込むことは、危険な考えでもあることを思い知った。

そんなつもりはなかったのに

前職の同期だった友人と、カフェでお茶をしていた時の話を。
(少し前のことなのに、今書くために思い出すと、記憶はまだ生々しく状況がフラッシュバックして体温が上がる感覚がある)

彼女は、私にとって数少ない将来の話ができる友人だった。
これからどんな未来を切り開いていきたいのか、そんなことを語らい、お互いに良い影響を与え合える中だと思っていた。
私は、心を開いている関係だと思っていた。

話の流れで、韓国の話に。
なぜならば、彼女は、母が韓国人で父が日本人なので、韓国にルーツがある人物だからだった。
幼い頃に韓国から日本に越してきたそうで、もちろん親戚は韓国にいる。

話を進める前に、事前情報をここで入れておきたい。
私は、海外嗜好が強い自覚がある。
好奇心が強く、知らないことは知りたいし見たことがないものは知りたい。
日本で生まれ育った私は、外の世界に興味津々だ。
そんな私にとって、彼女のように生まれながらに2つの国のことを知っていて、繋がりがあるなんて、ものすごいアドバンテージに見えていた。

当たり前だけれど、どう頑張っても生まれ直すことは出来ない。
ダブルやハーフ、クォーターの人のように、様々な国にルーツを持ち、生まれながらの繋がりを持つということは不可能だ。
彼女は、私が見たくても見れなかったものが見えている人に思えた。

そして、良かれと思って「ルーツが一つではないことは、羨ましく思う人がいるくらい、素晴らしいことなんだよ」と彼女に伝えたい気持ちがあった。

言おうか少し迷いつつ、でも気持ちを抑えきれず

「でも、海外にルーツや繋がりがあるのって私からしたら羨ましいけどなぁ」

と発言した。

もちろん、人種問題はとても繊細で複雑な問題であること、この発言を良く思わない人がいることも承知している。
これが、そこまで親しくない人ならば、確実に言わなかった。
それどころか、もし初対面の人の名前がカタカナでも、日本では使われていない字体の漢字でも、私は出身を聞いたりしない。

私は、彼女が友人だからした発言だった。
彼女と私の間柄なら、と思ったのだ。

しかし、物事はそんな自分に都合よくは進まない。

その後のことはもう、想像できるだろう。
彼女の表情は曇り始め、黙り込んだ。
そして、苦々しい表情で

「あなただから言いたいんだけど…」

と、言いづらそうに「そうした発言は軽はずみに言わないほうがいい。」と、人種問題について話し始めた。

「些細に見えることでも、韓国人とのハーフってだけで、目には見えないような小さな傷をこれまでも負ってきたの。」

と、私を傷つけないように丁寧かつ慎重に、言葉を選びながらぽつりぽつりと話してくれた。
彼女が、私だから話してくれたことも、問題の大きさと繊細さを本気で伝えたかったという誠意も、良く伝わってきた。

しかし、その時の私は
自分でも驚くほど、ショックを受けていた。

本来、ショックを受けるのは彼女の方だ。
彼女が何度も傷ついてきた場所に、無邪気に矢を放ったのだから。
確実に、彼女を傷つけたのだ。

「悪気はなかった」という言葉が大嫌いなのに、
あの時の私がしたことは、まさに嫌いなそれだった。

そんなことはわかっているのに、それから一ヶ月くらいずっと、大きな大きな重たい鉄の塊がついた振り子のようなものが、胸のあたりに、どすんっと降りかかってきて、当たったところが熱を持つような苦しさが消えなかった。

境界線が見えた瞬間

あの日の帰り道からずっと、胸に降りかかった何かの存在が薄れることは無かった。

ふとした時に思い出しては、自分の軽率さを悔やんだ。
良くないワードだとわかっていたくせに、発言してしまったことを。
彼女に、言いづらいことをわざわざ言わせてしまったことを。
わかっていたはずのことを。
どれも心底悔しく、恥ずかしかった。

そして、早い段階で一つの決意をする。

もう二度と、人種問題について言及してはいけない。

本気でそう思った。
だって、こんなにもショックを受け、長らく気分が沈む思いは、二度としたくないから。

そのためには、彼女に言われた通り、軽はずみに意見してはいけないのだ。
私が口を開いてはいけないくらい、複雑かつ繊細な問題だ。

それまで、私の長所だと思っていた旺盛な好奇心は、時にナイフになることを肌で感じた。口は災いのもとで、言わぬが仏なのだ。
ショックを受けた心の扉を、固く閉ざすことでやり過ごそうとした。

しかし、それでも胸の苦しさが治ることはなかった。
閉じ込めようとしても、じんわりと身体中に広がってくる。

そして、お門違いだとはわかっていつつも、考えてしまう。
なぜこんなにも、私がショックを受けたのか。
なかなか引かない胸の痛みには、他にも理由がある気がした。

悶々とする中で、一つ気づいたことがあった。
不思議と、こういうものって不意にやってくる。
閃くというよりも、何かが舞い落ちてくるような、降ってくるような感覚で、あの日の自分にグイッと引っ張られた。

「ああ、私は、何もわかっていなかったんだ。
わかっているようなフリをしていただけだった。」

あの日あの時、私がショックだった理由。

それは、良かれと思ってやっていたことが。
誰かのためだと思ってやっていたことが。

見当違いだったことを知ったからだった。

***

あの日、あの時。

テーブルを挟んで向かい合った2人の女性。元同僚であり友人。

そして

1人は、日本で育ち、韓国と日本の2つのルーツを持つ。
1人は、日本で生まれ育ち、日本にしかルーツがない。

私たちには、どうやっても消せない、はっきりとした違いがあった。

それこそが、私ならば「日本で生まれ育った日本人」というカテゴリー、紛れもなく人種だった。

それまでの私にとって、人種とは、
ない方がいいと思い、勝手な正義感で消そうとしていたもの。

本当の姿が見えていなかったのに、安易に、良かれと思って消そうとしていたものが、さまざまな思いを纏って目の前に現れた。

まるで、人狼ゲームで良く調べもしていないのに、勘ひとつで罪のない人を勝手に処刑してしまった時のように。
まるで、調査が足りていないのに、早く成果を挙げたくて冤罪で罪のない人を逮捕してしまう警察官のように。

25年間生きてきて、初めて
自分が、日本人であるということを理解した瞬間だった。
今まで見えていなかった現実を、初めて目の当たりにした。

だからこそ、あの時「能天気で海外に被れ、日本から出たことのない日本人」である私に対して、人種問題や容姿に関する問題の根深さを諭すように話してくれた姿に、まるで「日本で生まれ育ったあなたには、わからない問題がある」と言うように、控えめに、しかしキッパリと、線を引かれたことにショックを受けたのだ。

それまで大切にしていた私の正義感は、大きな間違いだった。
重要なものを、見落としていたのだ。
私の考え方は、彼女のこれまでの歴史を全部すっ飛ばし、まるっと無かったことにしようとしたのと同然で、思いっきり見当違いだった。

それと同時に、「人種という枠組みは考えない方がいい」なんて言えること自体、問題の大きさをわかっていないことに気付かされた。

日本人として

「人種」という名の違いを身をもって感じ、気がついたことがある。

それは、「人種なんて関係ない」と思えていたのは、ずっと日本にいる日本人特有の「驕り」なのだということだった。
違う国に住み、よそ者扱いや好奇の目で見られたことがないのだから。
常にマジョリティな環境に身を置いていたが故の、自分勝手なハッピー野郎だったのだ。
当たり前だが、この世界には様々な国があって、文化があって、その数だけ人種も異なる。
目に見えるものだけでなく、宗教や政治的嗜好、歴史、国同士の関係性、ルールにマナーなど、人々の違いは考えだせばキリがない。

人生における大きな目標が「誰1人として傷つけない」なのに。
そのためには、
知らないことや、わからないことがあまりにも多すぎることを実感した。
日本人である私は、当たり前だけど日本人としての感覚しかないのだ。

これに気づいたとき、頭の中に世界地図が広がり、全世界の人口を想像し、果てしない無力感に襲われた。

全員のことを理解するなんて、一生かけても無理だ。

「え、そんな、生きていくのってしんどすぎるじゃん。」

このまま落ち込み続け、考えることをやめても問題はない。
しかし、不思議なことに、頭は考えることをやめない。

ひとまず今回のことを整理しよう。
今回の出来事のポイントは、出生について傷を抱えている彼女と、気にしたことがない私との間に起ったことだということ。
この場合、私の方が、出生について軽々しく発言するべきではないという立場だ。

確かに、どのコミュニティでも、当事者以外が意見することは歓迎されない。
彼女の言動も、暗にそういうことを示していたと思う。
「私たちのことをよく知りもしないくせに、勝手なことを言うな」と言っているように聞こえたのは、紛れもない事実であり、それは至極正しい意見だ。

そして私自身、当事者だと思っていないからこそ、この話について言及を避けようとしていたことにも気づいた。

しかし、果たして、それで万事解決する問題なのだろうか。
私には、どうしても、目を閉じ、口を閉ざし、耳を塞ぐことが正しいとは思えなかった。
徳川家康には申し訳ないけど、

知らないこと、知ろうとしないことが最も罪深い気がした。

そこで、新たに決意したことがある。

それは、人種問題に関する勉強を始めること。

正解も終わりもないとわかっている。
でも、バックグラウンドを変えることはできないなら、知る努力をするしかない。

人種問題は、私と彼女だけの問題ではないはずだから。
世界中で、信じられないくらい昔からある問題だ。
知らんふりして、見えないふりして、わからないから考えないようにするだけでは済まされない問題のはず。
知らないからこそ、誤った認識を持ち、誤解を生み、摩擦を起こす。

これまでも、悪気がなく誰かを傷つけていたことが絶対にあったのだから。

***

やると決めたからには、誤解や批判を恐れずに、純粋に知りたいことがたくさんある。
恐らく、地球で暮らす人間として知る必要があることだろう。

以下は、私のためのメモのようなもの。

・人種差別ってなぜ起きるんだろう?誰がそんなこと始めたの?どんな歴史が元になってるの?

・優劣ってなに?誰が決めてるの?

・発展途上国と先進国ってなに?どっちが偉いとかある?

・世界中の国と国の関係ってどうなってんの?

・どうしてマジョリティーとマイノリティーに分けるの?

・日本はどう思われてるの?世界的に見たらどんな感じなの?

・そもそも、日本と外国の関係を一から知る必要があるんじゃないの?

考えだすとキリがない。
高校の世界史の授業で学んだはずのことも多く、ざっくりと説明はできる。
しかし、教科書には事実しかなくて、「誰がどう思った」とかまでは教えてもらっていない。

世界中に目を向けて考える必要があると同時に、もう一つ大切なこと。
それは、私自身も当事者であるという意識を持つことだ。
日本にも、人種問題は確実にある。
そして、日本人というだけで嫌悪感を抱かれたり、忌み嫌われる世界を、聞いたことはあれど、恥ずかしながらまだ知らない。

学んだことは、このnoteにマガジンとしてまとめていく予定。

最終的には、様々なバックグラウンドを持つ人に話を聞くのが目標。
正直なところ、今回の友人とのこともあり、人種問題について言及するのはタブーだとわかっているし、怖くて不安だ。

でも、人の数だけストーリーがあり、傷がある。
傷口がわからなければ、手当てのしようがないのと同じように、わからないことが傷をつけることも事実だと思うから。

一生かかっても、全てを理解することはできないだろう。
それでも、せめて、想像ができる人でありたいと思っている。

最後に

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
思っていたよりも、長くなってしまいました。
このnoteほど、自分の文章を何度も読み返し、推敲したのは初めてでした。
久しぶりに、何かに突き動かされている感覚でした。
ここからは、少し個人的な思いを。

この勉強は、誰かに頼まれている訳ではありません。

考えたり発言したりするのを止めても世界は回るし、かといってこの勉強を始めたところで私が何かを変えられる訳ではないでしょう。

全ては「誰1人として傷つけない」ために。
しつこいくらい出してるワードかつ、良い人っぽく見せたい感じがするでしょうか。
言葉だけを見ると、薄っぺらいかもしれません。
しかし、今回の件を受けてから、勉強するという考えに至るまでに、気づいたことがあります。

それは、この「誰1人」には、自分自身を含んでいるということ。
私にとって誰かを傷つけることは、その事実が自分を大きく傷つけます。
まるでブーメランのように、『そんなことをしてしまった自分』として倍くらいの大きさになって返ってくる感覚があります。
触れるものや人、全てが他人事ではないのです。
だからこそ必死です。

そして、「人を傷つけない」というテーマであれば、人種問題に限らず、ジェンダーのことや障がいについてなど考え出すとキリがないでしょう。
それらを考えないということではなく、ただただ、今の私は人種問題に焦点を当てて学び、そのアウトプットの場所にここを選んだというだけのことです。

どのくらいの頻度で更新できるのか、どのような形で更新するのかは模索中です。
でも、一つだけ決まっていることがあります。
全ては、自分のためにやるということ。
長い長い旅に出る気分です。
できることをひとつずつ、納得のいくまで学んでいきたいです。

知識は武器であり、盾であり、薬にもなるはず。
私を助け、導いてくれると信じています。

話を聞かせてくれたり、教えてくれたり、力を貸してくれる人がいると嬉しいです。

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