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26歳の終わりに思うこと

誕生日を迎える時って、どうしても考えごとが頭を駆け巡る。
それまでの1年間を過ごしてきた自分の年齢に、別れを告げなければいけない気持ちになる。

26歳の1年間に別れを告げるのは、なんだかいつもよりも物寂しい気持ち。
それはたぶん、何年先に思い返しても、きっと忘れられない一年になると思うから。

最悪のスタート

26歳の始まりは、引きこもりだった。
転職した先の上司がとてもじゃないけど大爆弾で、耐えきれず半年でドロップアウト。
休職の真っ只中だった。
実家に帰省するも逆にダメージをうけて憔悴し、友人と暮らす家に戻った。
お昼前くらいにベランダに出てお茶を飲みながら日光をあびて。ひたすらに旅行本を読んでた。
何もしないから夜は寝付けず、ずーっとネトフリを観るかラジオを聴くか。
明け方まで寝付けないので、夜中に徘徊してコンビニに行ったり、深夜3時半に桜を見ていて警察に声をかけられたりした。

2ヶ月が経ちいよいよ貯金の底が見え、渋々復職する。
復職後の部署は、全く待って望んでいない仕事で、入社時の条件と異なっていた。
また絶望。
私の人生の計画が総崩れだ、どうしてくれんだ。
とっとと次の仕事見つけて辞めてやる。
と思いながら、重い足取りで会社へ向かった。
ひとまずお金が必要だとだけ言い聞かせた。

光っている手を握った日

新しい部署の人たちに挨拶を済ませ、母親と同い歳の女性が部長になった。
休職に至るまでに何があったのか、私のそれまでのバックグラウンドはどんな感じなのか、何も知らない人だった。

会話の流れで、「少し話せる?」と人気がいないソファに2人で腰掛けた。
どんな流れで休職に至ったのかを、少し話した。
私は、前の上司が攻撃力がめちゃくちゃ高かったことや、酷いことを言われて傷ついたこと、そしてその傷口がなかなか塞がらないにもないも関わらず、夜遅くまで残業するほど無理して仕事をしていたら見兼ねた友人が無理やり休ませたことを軽く話した。
その時の彼女の反応は、「え?!そんな酷いこと言う人いるの???」だったし、「仕事だけが人生じゃないじゃん?ご飯はお家で食べたいし、友達も会いたいし。それこそが人生の大切な部分なんだから、一緒に変えていこうね」だった。

マツコデラックスがなんかの番組で言っていた、「人生には、たまに自分を助けてくれる光る手に巡り合う瞬間があるの。助けてもらうためにその手を掴むことだけは、忘れないで欲しい。」の、まさに光る手だったと思っている。

とっとと辞めてやる!と思いながら向かった日に、光る手を掴んだ。
ここにいるのが、安全かもしれないと、初対面の人に対して初めて思った瞬間だった。

それからもう一年近くが経った。
別にめちゃくちゃ好きな仕事内容じゃないけれど、苦ではないし、こなせているってことは向いているんだろうなと思っている。

前の部署では永遠に感じられた半年だったのに、気づいたら季節がぐるりと巡って一年が経っていた。
大袈裟かもしれないけれど、命の危険を感じずに働けることって有難いと毎日思う。
ビクビクしたり、相手の顔色を伺ったり、時間が早くすぎて欲しいと祈ったり、明日の朝になったら起き上がれないかもしれないと思ったりすることがないのは、当たり前じゃない。

ずっとここにいるつもりは残念ながらないけれど、ずっとここにいても良いかもしれないなぁと思えるくらいには感謝している。

誰にも頼まれてないけれど

休職している間に、いろんなことを考えた。
自分の人生が変わるくらいのことを考えた。
その時に書いたnote。


あは、これも去年の誕生日の直前だった。

この日から今まで、世界の見え方がぐるんっと変わった。
たくさん本を読んで、映画を見て、考えて。
前の自分だったら気にしなかったことに、たくさん気づくようになった。
自分ではない誰かの痛みが、少しずつ見えるようになってきた。
でも、人間欲深いもので。
まだまだ知りたいことがあるし、見たいものがある。

誰に頼まれたわけじゃないけど、世の中を良くするために、本腰を入れて勉強したいと、沸々と思うようになっていった。
そして今の目標は、海外大学院に進学したいと、そう思うようになった。
毎日コツコツと、諦めそうになりながらも頑張ってみている。

自分でしんどい道を選んだなーと呆れる時もあるけれど、人生不可逆なので、知らなかった頃の自分には戻れないし、もうやらずにはいられないの、困っちゃう。

まぁ、頑張ろうと思うタイミングに限って、家族に大変なことが起きてそれどころじゃなくなったり。それと同時に、大切な人を守るとはどういうことなのかを知ったり。
愛犬との別れがあって何も考えられなくなったり。
妨害されてんのかな?なに?やるなってこと?って思うことの方が多かったけど。

でも、それでも、やめようと思えなくて。
やらなかった自分じゃなく、やった自分でありたいと強く思う。
あの頃の自分を救ってあげるために。未来の自分のために。
今の自分が頑張らないとなんだよね。

宝物が増えた一年

ここまで読むと、すごい大変な一年だったように見えるなぁ。
けれど実は、26歳の一年は何よりも幸せな一年だったと思う。

大切な友人がいつでもそばにいてくれた。
どんな時も愛してくれて、大切にされていると実感できるほどの人たちが。
そして会社に行けば、ゲラゲラ笑い合えて、ちゃんと守ってくれる上司や同僚がいた。

このままでいられたら、それはそれは幸せだなぁと毎日思う。
それでも、私の性格上ずっと同じ場所にいるのが得意ではなくて。
こんなに安全な場所にいるのに、生まれ育った日本を出ようと、なんならアカデミックな道に進もうと、正に茨の道に飛び込んでみたいと思っている。
自分でもドMかよ、と思う。

もちろん、全部が全部うまくいってるわけでもないし、正解もわからない。
でも、私はただ、昨日の自分より今日の自分が好きだと言えるようでありたい。

そう思えるのは、26歳の一年間は、私がちゃんと自分を好きになれた一年だったように感じるから。
たくさん勉強して、仕事を頑張って、色んな人に会って、愛をもらって愛を伝えられたんじゃないかな、と。
大切なものは何なのか、自分基準で見えるようになった一年だった。

ふう、もうすぐ日付が変わっちゃうや。

きっと何年先に思い出しても、26歳の一年間に出会い、共に過ごした人たちのことを思い出して幸せな気持ちになるんだと思う。
自分の人生にこんな幸せな時間があったことを噛み締めるんだと。

そしてまた、前を向いて生きていくんだと思う。

ありがとう、26歳の私!
27歳、もっと楽しみにしてるよん。
変化の一年になるはずだし、していこうね。
運命は自分で切り開くぞ。
きっと出来るはず。

ほぼ推敲せず書いたママの文章だけど…
たまにはそれもいっか。

27歳、ばっちこい。

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