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絶望の先に

猛烈にやらないといけないことがある時って、それと同じくらい猛烈に気が重くて逃げたくなるもので。
久しぶりにnoteに逃げてきてみた次第です。

ずっと書こうと思っていたことを。
正確には書いたけど投稿していなかったことを。

先日、と言っても1月の終わりに、ある映画をみてきて。
その映画をの運営の方が、Googleフォームで感想をぜひ送って欲しいです、とのことだったので。
実際に送った映画の感想を、自分が読み返す用に少し修正して残すことにしました。

私が観た映画は、映画「金福童」。
正確には、上映会という形で。
この映画は、慰安婦問題に関するもの。
すこーし前のnoteで、私が勉強しなきゃと思った理由とその内容と確実に重なる部分があり、足を運びました。

その日の帰り道、さまざまな感情が溢れて止まらなくなり、勢いのままに感想を書かずにいられず。
以下、人に向けて読んでもらう体で書いてありますが、そのまま残そうと思います。

真っ先に感じたのは絶望だった

私が今回、上映会に参加したのは、日本人として日本の歴史に向き合う必要があると思ったからです。
私は、日本生まれ日本育ちの日本人で、26歳の女性で会社員です。
韓国にルーツをもつ友人との関わりの中で、私が日本で受けてきた教育は、果たして正しかったのだろうかと、ここ一年くらいで強く疑問に思うようになりました。
日韓の歴史の中で、慰安婦問題は避けて通れません。
日本の教育では、被害の歴史ばかりに注目しており、加害の歴史こそ学ぶ必要があると思い、今回の映画に行き着きました。

上映会とトークショーに参加して主に感じたことは、絶望でした。

なぜ、絶望したのか、そう感じたポイントはいくつかあります。

日本人として


まず最初に感じたのは、日本がやったこと、そしてその後の責任を果たせていないことに、絶望しました。

性被害を受けた場合の告白の難しさを、なぜわかろうとしないのか。
冒頭でも、声を上げるまでに50年もかかってしまった、とありましたが、本来何年かけてでも自分の口から出すことは本当に難しいと知っています。
私自身、過去に彼女たちと同じ位の年齢の時に起きた性被害について、いまだに誰にも言えていません。
当時、親と警察に聞かれたことに答えた以外、誰にも言えていません。
彼女たちが受けた苦痛に比べたら大したことないかもしれません。
もちろん、誰とも比べることはできませんが…それでもです。

とてもじゃないけれど、被害を受けた当事者ではないおじさんたちが話を進めるなんて、それこそが話にならないじゃないか、と。
上映中何度も、どうしてこんなにも日本政府と話が通じないのかわからない悔しさと、私には彼女たちに直接は何もできないような無力感に襲われました。
こんなことをしている国の国民であることが、ずっしりと胸にのしかかると同時に、あれだけの人数で訴えかけても解決しないなんて、私に何ができるのだろうかと、涙が溢れました。

彼女たちが再三訴えているのは、起こしてしまった過ちに対する謝罪の要求であって、それは今後韓国の女性が二度と同じ目に遭わないようにするためだと語っていました。
自分たちのためだけでなく、ほとんどは未来のための行動でした。

そのように力強く、そして時にはユーモアを交えながら語る姿が印象的でした。

笑っていいと思ってんの?


しかし、2つ目の絶望は、そのユーモアを聞いた時の会場の反応です。

時折、金さんがユーモアと皮肉たっぷりに「安倍に謝らせる」と語る姿に、会場では笑い声が起きていました。
ほとんどが年配の男性の声に聞こえました。

正直、信じられませんでした。
あれは、当事者だからこそ笑っていいものだと思います。
辛い活動の中、ずっと暗い顔はしていられないからこそ、せめてものユーモアだったはずです。
辛さから自分を守るための、防衛反応でもあるはずです。

当時の総理大臣を安倍晋三に選んだのは紛れもなく日本人であって、日本人であれば申し訳なささえあれど、笑えないシーンでした。
もし笑っていたのが、私が聞こえた通り、年配の日本人男性であったらば。

その時、「ああ、これが現実なんだな」と思いました。
これがまさしく、日本のマジョリティにおける人の反応なんだなと。
このマジョリティたちが、日本の政治を動かしているわけだと、嫌に納得しました。

絶対に来る現場違うだろ


その後のトークショーでは、まさかいらっしゃると思わなかったcolaboの代表の仁藤さんが登壇されました。
現在の厳しい状況を顧み、告知をせずに登壇せざるを得なかったからでした。
まさかお話を聞けるとは思っていなかったので嬉しかった反面、少し異様な雰囲気でした。

異様だと感じたのは、数人の中年層の男性が、仁藤さんにだけ、立ち上がってまで声を出したり熱烈に拍手する姿でした。
他の登壇者の話には、なんのリアクションもせず。
正直、不思議で仕方なかったです。
どんな背景があって、これらの問題を支援をしたいと思っているのか、想像ができませんでした。
なぜならば、私が見た限り、彼らは絶対的に当事者にはなり得ないからです。
彼らはおそらく、日常的に命の危険や立場を失う恐ろしさを感じていないはずなのに。

そしてもし、映画の内容やそれに伴う社会問題について真剣に学んでいるとしたら、黙って聞くことしかできなかったはずだと思うからです。
あのように、目立つ行為には至らないはずです。

異様な雰囲気に、猛烈な気持ち悪さが拭えませんでした。
その日の帰り道にこの気持ち悪さの正体はなんなのか、1人でぐるぐると考えて一つの答えに行き着きました。
彼らは“仁藤さんの“応援をしているのだな、ということでした。
その姿や様子は、アイドルや女優を応援する人たちの姿と綺麗に重なったのです。

応援する行為が悪いとは思いませんし、どのような入り口であれ、興味を持って支援してもらえるに越したことはありません。
しかし、仁藤さんのような活動をしている人にも、こうしたファンのような人がいるのだな、と思うと、本末転倒のように感じてしまいました。
彼女の声は本当の意味で届いているのかな、と思わずにいられませんでした。
そしてこれもまた、現実なのだな、と。
ここにも、ずっしりとした絶望の気持ちがありました。

絶望の先に

ここまで書くと、とてもネガティブな感想に受け取られると思うのですが…

本当に本当に、参加できてよかったです。

上記の現実を知ることができたのもそうですが、金さんとその周りの皆さんの姿を見せていただけたことは、本当に貴重な機会でした。
自分で今回のような機会を掴みに行かなければ、画面越しの金さんには出会えませんでした。

実際に被害にあった方の口から、話を聞くことができるのは、当たり前のことではありません。
これがどれほど難しいことなのか、絶対に忘れたくないです。

そして何よりも、「知らなかった」と口走る人を1人でも減らすために、1人でも多くの人に見てもらいたい映画でした。

最後に、「絶望」と冒頭で書きましたが、それと同時に強いエネルギーを持って決心したことがあります。

それは、今の私にできることは、学び続けることしかないんだということです。

そして、事実を正しく伝えていく必要があると思いました。
こんなこと、世界中のどこだとしても、絶対に二度と起きてほしくないですし、起こしたくないと、強くはっきりと思った夜でした。

まだ観ていない方へ

ここまで読んでくださった方がいれば、ありがとうございます。
読んでみていかがでしたか?

きっと、一人一人思うことは違うと思います。
性別によっても、年齢によっても、どんな人生を生きてきたかによっても。

かなり内容に触れて書いていたのですが、これだけでは何もわからないと思います。
本編を見ると、もっともっと思うことは違うはずです。
絶対に絶対に本編を見て欲しいと、強く願います。

関東では3月末にあと一回、川崎で上映が決まっていますので、少しでも興味があったら絶対に行ってください。絶対に!

改めてですが、主催してくださった皆さんに、心より感謝しています。
金福童さんの人生が映画として世に残してくださって、触れる機会をもらえたことに感謝します。

***

ふぅ、ずっと書きたかったことをかけてすっきり!
盛大な現実逃避でした。
でも、現実逃避するなら意味のあることをしたいよねー、と。
まだまだ読まないといけない本も、論文も、触れなきゃいけない言語も、やればやるほど増えていきますが…
立ち止まってはいられないので、やりましょうかね。頑張るぞ、自分!

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