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無条件の愛について

私はママに愛されて育ってきたと思っている。

数年前、結婚式の準備をしていて、幼いときのアルバムを見た。どの写真もいろんな人に抱っこされ、かまってもらい、自由に感情を表現していた私がいた。みんなの眼差しが温かった。その姿を見て、私は涙が止まらなかった。愛を実感した涙だった。

私の判断基準は、かなりママを軸に形成されている。別に強要されたわけではないのに、私はママのようになりたい(ならねば)と無意識で思ってきたのだと思う。

以下は、事実と(私の抱いてきた思い)だ。

ママは21歳で私を生んだ。(私も早く結婚したい。)

ママはお母さん(私から見てばあば)のことが大好き。(私も大好き。)

ママはばあばに何でも話していたらしい。(私も何でも話せる友達のような親子でいたい。)

ママはばあばにいつも優しく接していた。(私もママを大事にしたい。)

ママは兄弟仲良くと教えた。(弟がかわいい。仲良くしたいのに、考え方が真反対で弟が私から距離をとっている。弟より私の考えが正しいとよくママに主張してきた。その必要性はない。ただ、ママは私より弟と似ていると言っていて、私と意見が合わないことがあった。そのズレが気に入らなかったのだと思う。)

ママは私も弟もどっちも同じくらい大切だと言う。小さいときには寂しくないように、弟の授乳中も反対側に私を抱いてくれたらしい。(私の記憶の中では、いつもどちらのことも最優先にしてくれた。弟への嫉妬ってあんまり思いつかない。)

ママは人に群れない。相談しない。(一匹狼みたいなところがかっこいいと思ってきた。私はすぐに群れた。それなのに、相談したくても、人に悩みを言うのはカッコ悪いと思って生きてきた。ママには悩みを相談したが、言いたくないこともあって、そういう悩みは誰にも相談せずに閉まってきた。)

ママは私の自慢をする。(いつも私の話をしている。私はいつもそんなすごい人間ではない。と思っていた。恥ずかしかった。そんなことまで言わないでって思った。)

…とここまで、書いて思う。ママがこうありたいと思う人間性と実際の人間性にはギャップがあった。確かにこうありたいにマッチした生き方をしている部分もかなりあるが、真反対を美学としている部分もあった。

だから、愛されているし、愛されていないときもあったんだと思う。ママは無条件に私を愛したいと愛していると信じて頑張ってきたんだけど、私を拒絶したくなる日もあったんだ。全然性質が違うし。

相談…したかったんじゃないかなぁ。

幼少期、ママのこうありたいという思いと言動は一致していて、私の憧れだったけれど、月日が流れて問題も日々変化してママはきっとそれを貫き通せなくなっている。私の憧れから遠ざかるママに、私は憧れた姿を貫いてほしいと訴え続けてきたのだと思う。

私も知恵をつけて、ママの思いと言動にギャップが見えたとき、確信を突いてママが言われたくないことをピンポイントで口撃してしまうときがある。ママはそれにすごく傷付く。その姿を見て、私は自分が嫌いになる。自分には大好きな部分がたくさんあるのに、それを全消しするくらいの威力だ。

今、なんとなくわかった。いつまでも同じ自分でいる必要はない。ママも私も理想を描きすぎて、それに追いつけずに自分を拒絶する。

感情や思考は変わるものということが、本当の意味でわかっていれば、変わることを愛おしいと思えるのに、変わることが悪いことだとブレーキをかけてきたんだ。

ママはいつまでも純粋な子どもでいることを望んだし、私も強い母でいることを望み続けた。

でも、私は大人になり、母は弱くなった。理想ではなくなった。

無条件の愛とは、変わっていくことを許すことかな。


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