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失敗の経験が思考力を強烈に鍛えるんじゃないかというお話。

こんにちは。Likutoです。
タイトルで言いたいことは書いてしまいましたが、
今日は失敗と思考力の関係について考えたことを書きます。

最近の若い人は失敗を回避しがち?

失敗は誰でも嫌なものですが、最近の人は特に避けがちという話を耳にするようになりました。

※上記noteではムーブメントが中心に語られていますが、失敗についても同様の
 ことが言えるかと思います

また、若い人は「どうしたら最短距離で成功できますか?」と答えを求めがちとも聞きます。

あくまで自分の観測範囲内の話なのでこれが広く通ずる話なのかはわかりませんが、肌感覚としては確かにそんな印象があります。

悔しさや失敗で本当に得られるものとは?

対して、成功した人がよく語る言葉で「成功するまで失敗すればそれは失敗でない」というものがあります。
それはその通りでしょうが、でもそれは「成功まで辿り着かない限り失敗なのでは…?」とも思えます。
そんな成功の保証がつかないものに、時間をたくさん費やしてまで挑戦する度胸なんてそうそうないものですよね。

でも、失敗すると必然的に得られるものが実はあります。
それは「なぜ成功できなかったのか?」という後悔です。

この後悔は嫌でもついて回るので、「それを避ける他の策はなかったのか?」「抜本的に見直していれば上手くできたんじゃないか?」などと強烈に頭が回り始めます。
探索的に考えることにより、具体的な経験を軸に強制的に思考の幅が広がったり、深みが出てきたりするものです。
こうした思考は後々になっても頭の中に強く残ります。

一方、失敗しない日々の生活でそこまで深く・強く考えることはあるでしょうか?
例えば、目の前の横断歩道を青信号で無事渡れたときに
「なんで渡ることができたんだろう?」と考えることはまずありません。

このように、失敗をきっかけとすることで思考力がどんどん鍛えられていきます。
よく「場数を踏め」と言われるのも、正体はこれでしょう。

"可能性"の中に生きることこそ"失敗"

この逆で無意識に失敗を避ける人も結構います。
これは、「がんばればできるかもしれないけど、今は保留して成功する"可能性"を残しておく」人です。
大して挑戦していないので失敗も起きないから傷つくこともない。
さらに成功する未来も"可能性"としてありうるので、期待や希望は常にある。
こういった状態です。

これは、思考力を鍛えるチャンスを逃し続ける、実にもったいない行為です。
失敗を重ねている人は、その間にたくさんの思考を培ってきています。

"可能性"の中に生きること、これこそが実は一番の"失敗"でしょう。

得られるものがない失敗はただの「ゴミ」

ここまで、失敗がすごく良いものであると語ってきました。
ただし、注意点が1つあります。
それは、失敗から得られるものがなければ、その失敗はただの無意味な行為ということです。

・あらかじめ適切な対策を講じていれば当然避けられたであろう失敗
・失敗しても全て他責にして次回に活かせない思考

これらはなんとしても避けなければなりません。
失敗から「思考力」が得られるから意味があるのであって、
これが得られない上記の行為には何のメリットもありません。

さあ、どんどん失敗して新たな思考を手に入れよう!

失敗が嫌だったあなたも、少しは挑戦してみようと思えたんじゃないでしょうか?
まずは身近なところから、成功するか分からないものに取り組んでみてみましょう。
成功すれば何かができるようになったということですし、
失敗すれば新たな思考力が身につく、と良いことしかありません。

あなたの「失敗」、そしてその先にある「成功」を応援しています。

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