Who's been killed?バランスと自転車、好きだった彼女に殺されかける

今いろんなものに追い込まれていて、、いや違うな、自分でここまで追い込んでんだ。考えることが多すぎる、決断すべきことが多すぎる、やるべきことが多すぎる。本当はそんなことないはずなのにそう感じてしまうのは、いろいろなバランスが取れていないからなのだろう。
頭と心のバランス。
頭では「これをこうして、その後こうすれば片付く…よし」と計画していても、心は「今はこれじゃなくてあれをしたほうがいいものができる」とか「これは勝手に背負い込んだタスクで、本当には自分のためにならない」ということを知っている。私は頭の声が弱く心の声を優先してしまう傾向にあるので、どうも現実の世界ではことが思うほど上手く運んでいかない。
そして今と未来のバランス。
思考だけが未来へ未来へ先走っていて、身体は今にいたままついていっていない。だから大きな物事に対してエネルギーを注いでしまい、目先の小さな期限が心底邪魔に思える。とにかく未来へ行きたい気持ちが、今ご飯を食べることを後回しにしたり今ゆっくり本を読もうとする欲をなくしたりする。

こんな風に頭でっかちになっていると、文字通りとってもバランスの悪い自転車の乗り方をする。

うん、どうやらこれは昨日自転車に乗っていたときの話になりそうです。

私は高校生くらいからロードバイクに乗っている。正直一生ロードバイク以外乗らなくていいと思うくらい好きだ。
私が自転車に乗る理由は「移動」ということ以外に、「自分の状態を知る」という意味合いもある。自転車のこぎ方、スピード、目にとまるもの、疲れ方、いろんな要素が毎日違っている。毎日同じように同じ道をこいでいるようでいて、本当は毎日全く違う自分で全く違う道を(心理的に)こいでいるということを発見できる。
だからたまに「移動」のためではなく、「自転車をこぐために自転車をこぐ」日がある。ある時には空っぽになるために、ある時には何かを得るために。そして大体は空っぽになりながら何かを得て帰ってくる。本当にいいことです、自転車に乗るというのは。走ることと似ていますが、風が気持ちいいので最近は専らちゃりんこマスター。

昨日は「移動」していた。つもりだった。

でもなんせ頭でっかちでいろんなことをぐるぐる考えながらこいでいたので、あやうく死にそうになった。頭や心が違うところへ向いていて、しかも先へ先へ生き急いでいたので、とてもバランスの悪い乗り方をしてたんですね。
日本は道が狭いけどこっちは道が広くて自転車レーンも充実してるから・・・と油断してはいけない。アメリカは自動車大国なのだ。アホみたいな運転をする奴らで溢れているんだ!赤でも右折するような国なのだ!

すごい勢いで右折しようとする車に突っ込みかけると、運転席から怒号が飛んできた「I'm gonna kill you!!!」わぁ〜今一命とりとめたのに殺されるのか私。
そして驚くことに、その運転手はなんとなんと友達だった。わぁ〜わぁ〜久しぶり・・・

彼女はエストニア出身の年下の友達。私と同じ時期からLAに住んでいる。
モデルみたいに綺麗で、モデルみたいな喋り方をする。(はてモデルみたいとは称賛か揶揄か)全然タイプが違うけどなぜか話せるというタイプの友達。話すというよりは向こうがひたすら喋っている。あの男の子がどうだの、あの車がほしいだの。私はうんうんとかえ〜そうかなとか言ってる。

たまに私が自分の嬉しかった話をすると彼女はよく「Oh my gosh, I'm so gonna kill you」と言っていた。例えば彼女はエッセイを書くのが苦手でいつも苦労してたから、私がAを取ってるのを見た時とか。日本語的には「うわ羨ましいわ〜死んで〜」みたいなノリになるのかな。アメリカ人のティーンネイジャーでもそんな喋り方しないだろうに、一体この子は何を見て英語を学んだんだろうか。そして「私いつこの人に殺されるんだろう」っていつも思ってた。

とはいっても数ヶ月会っていなかったから、運転席から聞き覚えのある台詞が聞こえた時になんだか懐かしく思った。やっと私この子に殺されるんだ。

数ヶ月の間に彼女は変貌を遂げていた。
まず車を買ったんだね。あんなに欲しいと言ってた車を。念願のベンツではなくトヨタのカムリではあったけど。
そして、よりモデルみたいになっていた。モデル、というかインスタグラマー。実際に最近の彼女のインスタは自分自分自分っていう感じで、たくさんのハッシュタグと共に毎日投稿しているもんな。フォロワーぐんぐん伸ばしてます!って感じの。出会った頃はそういう人をバカにしてたのにな。やっぱり本当はインスタグラマーになりたかったんだね。
だからかな、なんだか顔つきも変わってしまったように感じた。まぁ明らかにメイクが濃くなってるのは別にしても、なんとなくキツい顔になっていた。よくいるLA人の顔に。「エストニアってちっちゃい国だから皆知らないんだけどさ、とっても綺麗な国なんだよね〜カオリ知ってくれててすごい嬉しい!!」と出会った当初によく言っていた彼女の素朴な笑顔はもう思い出せそうにない。

そして彼女は、ギュッとブレーキを握りしめたままそんなことを考えていた私の前から急発進して消えていった。LAのふぁっきんトラフィックの中へと再び。
一瞬の邂逅はただ私の心にひっかかる何かを与えただけで、彼女は私が私であることすら気づかなかったみたいだった。あるいは私が私であっても、もう彼女にとってはどうでもいいことなのだろうか。

あぁもうきっと私たちはあの日みたいにTシャツにジーパンで公園であぐらをかきながら喋ることはないんだろうな、と思った。
もともと違うタイプの友達ではあったけど、それでももう私たちは完全に違う世界を生きている気がした。それぞれ異なる価値観の中で、異なるものを大事にしているんだな。私はこれからもぼ〜っと考え事をしながらロードバイクをこぎ、彼女はインスタグラムの通知を気にしながら車を飛ばす。
私の好きだった彼女はいなくなってしまったな。よく「LAかぶれ」なんていう言葉を使う人もいるけど、人はこんなにも急激に変わってしまえるものなのかな。


”Hey, you've so killed yourself!!"
と叫び返したかった心をぐっと抑えた後で、彼女とは違う方向へまたペダルを漕ぎ出した。
そしてふと思う、変わってしまったのは彼女だけなんだろうか。

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