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Every dog has his day.⑧

 第8話、 
 凍てつく寒さの中、峨峨たる山々の中腹を縫う山道を、赤い袈裟姿の僧侶が奥の頂きに聳える朱塗りの伽藍に向かう。弘法大師、空海に違いない。古歌に詠んだ「高野の玉川」が一幅に仕立てられている。右下の落款は哥麿画に角印。
 都内にある堀之内家の関係者宅。専門誌に載った写真と対比しながら、江上は床の間の肉筆画を逐一観察し、幻の歌麿作品に辿り着いたことに胸は高鳴らせている。
 とんとん拍子に事は進んだ。市議の常本から電話連絡があり、栃木県内に住む堀之内家の親戚を探し出し、事情を伝えると、その親戚の中年女性は快く取材協力を申し出たという。連絡先を教えてもらい、翌日、江上はその女性宅を訪れた。
「そういえば、歌麿の話も小耳に挟んだことがありました。堀之内家に伝来したというこは大変名誉でしょう。聞いてみましょう」
 女性はその場で、所有者に電話を入れた。会話の様子から、所有していることは明らかだった。
「直接、話しますか」
 女性から受話器を受け取り、江上は調査目的を説明すると、電話口の男性は取材協力を了承した。
 林らが確認して以来、約40年。時間の壁を懸念したが、足で稼ぎ活路が開けた。市議常本の人脈、情報収集力に頭が下がり、堀之内家の関係者の協力に心から感謝したい。美術品は時として資産的価値を持ち、所有者は真贋、相続問題で、調査に二の足を踏みがちともいう。栃木市委託調査という公的な看板が所有者の安心材料になったのかもしれない。
 六玉川を構成する他の掛け軸五点、「井手の玉川」「調布の玉川」「野路の玉川」「三島の玉川」「野田の玉川」を順次、江上は写真に収めた。研究者の鑑定を仰がなければならない。一点一点、全体像をはじめ全体を4分割したり、落款部分に慎重にカメラを向け、何度もシャッターを押した。
「言い伝えでは、当時、歌麿はちょくちょく泊まりに来たようです」
 調査を終え、堀之内は掛け軸を丸め、桐箱に収めた。
 林の調査報告によると、戦前、当時の当主が納屋2階の梁に吊るしてあった屏風を見つけた。作品が痛むのを恐れ、その当主が表具屋で掛け軸に仕立て直した。林は現地調査の際、表具屋の情報から所蔵先を知ったとしている。
 引き続きの調査協力を要請し、江上は所蔵家宅を辞した。
 街路樹のイチョウが黄色く色づき始めている。江上は逸る気持ちを抑えながら、駅へと急いだ。
 翌日、江上は市役所に直行し、市長の末永に報告した。
「何だって、もう歌麿の肉筆画にたどり着いたの」
 末永は満面に笑みを浮かべ、握手を求めてきた。
「市議の常本さん、堀之内家の皆さんの協力で予想以上にうまくいきました」
「そう、常本市議も協力したのか。私からも早速、お礼を言っておこう。美術品の調査に政治家の力を使うなんて、目の付けどころに感心するよ。さすが記者上りだ、見込んだ甲斐があった」
 末永の賛辞に鼻白み、予想以上の進展に江上は一抹の不安を覚えた。
 市長は所有者に面会し、今後の調査協力を自ら依頼することになった。
 市長即断のプロジェクトだけに、熱意がひしひしと伝わる。仮に女達磨図に次ぐ第二の肉筆画の発見につながれば、新聞、テレビで取り上げられ、内外の大きな関心を引く。来年春には市長選挙も控え、政治家ならば絶好の好材料と皮算用して当然だ。
 翌週、江上は再度、都内の堀之内宅を訪れ、市長からの親書を手渡した。所有者の信頼を得て今後の調査がスムーズに進むよう、親書は六玉川に関する林の調査報告を盛り込み、その希少性を訴えていた。堀之内は親書に恐縮した様子だった。
 善は急げだ。市長訪問の日程調整のため、江上は所蔵家宅に電話を入れた。
「申し訳ない」
 堀之内の前置きに、嫌な予感が走る。
「その件は静かにして置いてもらいたいんですが」
 江上は耳を疑った。
「それでは調査協力については」
「お約束したのに申し訳ない」
「何か、私どもに不手際があったのでしょうか。もし、あったならば、何でも、遠慮なくおっしゃってください」
「いや、とにかく、今は静かにしておいてもらいたいので」
 堀之内は電話を切った。 
 好事魔多し。一寸先は闇、と江上は実感した。
「親書の内容に問題はなかったはずだが……」
 市長の末永も唇を噛んだ。
 歌麿調査は振出しに戻った。
 所蔵家が頑なな姿勢を見せる以上、当面、調査は見合わせるしかない。市の調査に協力すれば、まず専門家が真贋を鑑定する、所有者とすれば、もしも、と懸念を抱くのも理解できる。一方、真筆で価値があると分かれば、これまでの相続処理や今後の譲渡に絡んでの税務当局の目も気にかかる。既に美術商が動いているかもしれない。
「栃木市のお宝を、これまで代々、引き継いで頂いていることに感謝しなければ。残念な結果だが、所有者を割り出せたことは大きな成果じゃないか。まだ諦めることでもない」
 市長、末永は消沈した江上を労った。
 市長室を出て、江上は階段を下り、駐輪場に向かった。
(調査期間は2年半しかない。どうにかしなくては)
 事務所に戻る江上の足取りは重い。
 駐輪場に着き、自転車のカギを外そうとして、チノパンツの左ポケットにある携帯電話が震えている。市長面会のためマナーモードに切り替えていた。江上が手に取ると、知り合いの会社社長、神村からだった。
「実は知り合いから電話があって、歌麿の件は黙っていて欲しいってんだ」
「歌麿の件て、それ、どういう意味ですか」
 神村の話を一言も漏らさないように、江上は受話器を握りしめた。
                       第9話に続く。
 第9話:Every dog has his day.⑨|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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