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瑣末なものとして

心の中で自分が問う。
わたしは何者かと。

もう一人の自分が答える。
『全ては定義の問題だ』。

宇宙に対峙させるか、
社会に対峙させるか、
家族に対峙させるのか、
あるいは己らしさに対峙させるのか。

己らしさはその問い自体が自己矛盾し、
家族は個の尊重の名の下で説得力を失い、
社会は今や時代の歯車にしか興味がない。
そして宇宙の前ではほんの光の粒である。

さほど瑣末なものならば、
このひとときを尊び、
このいとなみを慈しもう。

春の陽だまりを
夏の慈雨を
秋の実りを
冬の静寂を

芽吹きの勢いを
萌木の艶やかさを
大樹の年輪を
落葉のぬくもりを

山雀の地鳴きを
蛍火のゆらめきを
興梠の跳躍を
蛞蝓の這い跡を

何者でもないわたしは、
あらゆる瑣末さを愛し、
そんな瑣末なものとして、
こころ穏やかに毎日を丁寧に生きよう。

穏やかに最期を迎える日まで。

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