Shizu

日々思うことを書いてみます。本や映画、漫画、自然が好きです。

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最近の記事

the batmanを見て

なんとジョーカからのバットマンです。ブルース君が気になってひざびさにアメコミを見ました。もうまるで別物です。映像の迫力音楽のすばらしさ、できれば映画館で堪能したかったです。ついでにダークナイトも見ました。洋画はもともと好きだったのですが、最近では邦画ばかりでした。火垂るの墓と、となりのトトロが同時上映だったのを知って少し驚きました。家はテレビだったので、別々に見せました。どちらも良い作品です。 初めて神戸を訪れた時、あの柱を目にしました。あの場所だったんだ。昔から駅はあまり

    • 映画ジョーカーの感想

      やっと見る事が出来ました。アメリカの抱えている闇に焦点を当てているなんともやるせない気持ちになりました。これは日本にも当てはまると思います。バブルを経験した身とすれば今も何が正解だったか判りません。特にアーサーの演技が凄いまるで本人であるかのように映りました。何もかも失った彼が変身してダンスを華麗に踊る姿に見とれてしまいます。もともと、苦手なジャンルなので見るのが不安でしたが見て良かったです。何処かに救いがあるような気にさせてくれたのは何だったのでしょうか。でも もう一度見る

      • ハンカチの思い出

        小学2年生でとても仲良しの友達が出来た。行き返りも一緒でお互いの家にも遊びに行っていた。彼女の家は一軒家で犬を飼っていた。触りたくてたまらない私は、何度か試しに近づいてみたけどダメだった。手入れのよくされた秋田犬だった。友達にはしっぽを振って甘えるのに、私には歯をむき出して唸るのだ。これ以上は危険と察知してあきらめる。ビルとは大違いだった。これが和犬というものなのだ主人には忠誠を誓う飼い主にとっては最高の相棒だろう。クラスではみんなよくしてくれた。人の事に無頓着だったので密に

        • 通学路

          焦げた食パンと紅茶が低学年の私の朝ごはんだった。朝が弱いので、あまりたべれなかった。赤いランドセルをしょつてとぼとぼと、歩き出す。通学路にはいわゆるお屋敷街というものがあった。黒塗りの高そうな車に羽箒をかけている若い運転手、誰が乗るんだろう一度も会ったことがなかった。家はみな生垣に囲まれていて、中の様子もわからない。でも何人か同じ学校の生徒がいたので心強かった。鉄の門がある家は樹が生い茂って家が見えないきっと素敵な建物が建っているのだろう、と勝手に想像していた。バラが咲き乱れ

        the batmanを見て

          愛車

          ほんの数年の付き合いしかなかったけど、よく尽くしてくれました。メタリックシルバーのカッコイイ奴でした。子供がまだ幼い時には、いろいろな所へ出かけられ、体の負担もすくなかったです。彼を買う時に何故かボディーの硬さにこだわりました。ベンツぐらい硬いと店の主人は、笑いながら言いそれならと二つ返事で決めました。トヨタの車でした。子供が3歳の時アクシデントにより入院騒ぎになり、母に来てもらう事に一週間ほど滞在してもらいました。何とか無事に退院でき、母もほっとして帰路につきました。珍しく

          自動車学校

          22歳の時に通いました。会社の帰りに送迎つきでとても快適な時間でした。初めての日食堂にはたくさんのグループがいて一人の私はビビッてしまい、どこで食べようかと考えた果てになんとトイレを選んでしまいました。今でいう便所めしです。買っていたサンドイッチをふたくち程食べたのですが、さすがにいやになり急いで外に出ました。帰りの電車食べることにして回りを散策し始めました。丁度いい柱の陰を見つけそこで食べることにしました。先生以外とはほとんど会話らしいものはありません。年齢も様々変わった空

          自動車学校

          図工の時間

          小学校で一番好きだった。特に写生や空想の絵だ。その話は祖母の寝物語だった。中でもヤマタノオロチの話は何回ねだっただろう。それはおどろおどろしいものだった。八つの頭を持つ巨大な化け物、そうだこれを描こう私の筆はすらすら進んだ。いつもあまり使わない黒を使って鱗も鮮明に描いた。オロチが大きすぎて、ヤマトタケルが小さくなったのが、唯一不満だった。案の定一番目立つ所に飾ってもらった。不思議そうに何人かがみてくれていたのがうれしかった。粘土の日もあったこれはむしろ、苦手だった。いつも思い

          図工の時間

          遠足

          東京での初めての遠足は羽田空港だった。駅とは全然違う何とも不思議な空間だった。スーツをおしゃれに着こなした。大人たち、綺麗に着飾ったお姉さん、いろいろ見とれていると、紺の制服の一団がやって来た。スチュワーデスさんだ。当時のあこがれの的だった。そして最後に見たことのないかっこいい帽子を目深にかぶったパイロットたち、あんまりじろじろ見るので少しほほえんでくれた。早く大人になって彼らの操縦する飛行機に乗りたい。大人になりかなり乗る機会があったが、彼らと出会うことはなかった。そして私

          生きる意味

          大層な題名をつけて焦っています。私は大きな出来事があると、何も考えられなくて困ってしまうのです。新年早々大変な思いをされた方々にお見舞い申し上げます。前回の転校は、大正解でした。私に友情とやる気を教えてくれたかけがえのない学校となりました。アイデンティティの確立にも多分に貢献しています。唯一心残りは卒業したかった。おいおい書くのですが、私の時代は女性にとって選択肢がほとんどなく結婚をするのが当たり前でした。いくら仕事が出来ても管理職は誰もなれません。特殊な技能と資格を持ってい

          生きる意味

          初めての転勤

          小学1年の時だった。期待した学校生活は、隣に座る男子のせいで台無しになっていた。何もしていないのにキレて八つ当たりをしてくる、たまりかねて母親に相談したがらちがあかない、等々足をけってきた。もう堪忍袋が破れそうだぅた。今度来たらもいっきりやり返してやろうと思っていた。いつもより早く帰って来た父が一週間後に都会に引っ越すから準備をしなさいと言われた。それからはバタバタの日々だった。祖母の家に行ったり、買い物をしたり、荷物を作ったり、でもうれしかった。新しい生活と友達が待っている

          初めての転勤

          言うことを聞かないペンギンショウー

          小樽水族館で見れるペンギン達です。もともと好きな鳥でとにかく可愛い、ショーのすべては指導員さんの話術にかかっているといっても過言ではありません。余りのペンギン達の無法ぶりに、思わず吹き出してしまいました。でも中には難しいミッションを見事にクリアする子もいてこれからが楽しみです。中々大変な時代になってきて何も出来ない自分が情けない、でもみんな一生懸命生きている。生きにくい人が一人でも減ることができるといいな。随分前になりますが、周りに話相手がいなくてボランティアでお手伝いをした

          言うことを聞かないペンギンショウー

          トラックとおばあちゃん

          私が幼い頃、近くに運送会社がありました。なぜそこに行くようになったかわかりませんが、トラックの運転をしているおじさんと仲良くなっていました。下は危ないので階段を上って指令室でいろいろ話をしてくれました。おじさんは出稼ぎで来ていて同じぐらいの子供がいると、帰りにはいつも、お菓子をくれました。その時はよく門の近くで遊んでいておじさんがトラックでたまに通ると挨拶をしてくれました。今では考えられないぐらい自由に遊べていました。丁度弟が生まれた頃だったので、母はほとんどかまってくれず寂

          トラックとおばあちゃん

          スティング

          映画のレオンからのファンになってしまった。今更なのだけれどなんだか心にしみる。なんでこんなに切なくなるのだろうか、混沌としたニュースにくじけて何も出来なくなる。若い時は何も考えてなかった、自分のことで精いっぱいだった。私には小学校が3校、中学校も3校ある。最近終わった最高の教師を見て毎回もつれた糸をほどくような演出にドキドキした。長い学校生活の中で2人の最高の教師がいた、多い方なのかよくわからない。一人目はいじめを一瞬で終わらせた女性教師、もう一人は戦争の悲惨さを惜しげもなく

          スティング

          マスカットアレキサンドリア

          今はシャインマスカットが流行のようですが、子供の頃に父の知り合いの人のスナックで出されたぶどうです。カウンター席で落ち着いた感じのいいおみせでした。ママさんは年配の普通の人で言われなければ、主婦に見えました。多分一人でよく通っていたのだと思います。その時は母も一緒でした。初めて見た大きなぶどうを私が夢中で食べていると、もう帰るぞと言われてえっとなっていると、早くとせかされ泣く泣く5粒ほど残して帰りました。その後ざわざわとお客さんが入ってきました。全然お酒が飲めない私にスナック

          マスカットアレキサンドリア

          旅僧

          会社員の頃よく駅を使いました。当時の仕事はまさしく腰掛と言われる様な簡単でつまらないものでした。2両しかない電車はすでに満員で1時間 立ちどうし何処の都会だよと、一人で突っ込みながら窓の外ばかり見ていました。半年で6万円にもなる交通費。意地の悪い社員からもう一人雇えるなと、心無い言われようでした。不毛な日々にうんざりしながら、帰る途中に定期が無いのに気が付き現金で帰路につきました。家についてそのことを父親に言うと烈火のごとく𠮟られました。まだ3万円ほど残っていました。半分諦め

          三輪車

          何時も行くデパートでのお話です。私が真っ先に向かうのがジュエリー売り場、そこには優しいお姉さんがいて子供相手にいろいろと教えてもらいました。これは何、ダイヤモンド、これはルビー、とキラキラと光る指輪大人になったら全部買ってやると野心に燃えながらおもちゃ売り場にむかいます。母がちょっと服地を見るといったので、一人でうろうろしていると、おじさんに呼び止められました。お嬢ちゃん見ていってください。何か展示会を開催していました。人がほとんどいなくて少し不気味な感じ、目にとまったのは、

          三輪車