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続けたいなら続けようとしない

4日ほど投稿をお休みしてしまった。やっぱりどんなことでも続けるって難しい。

やりたいことが、やらなければいけないことにいつの間にか変化しているのはなぜだろうと思う。やりたくて始めて、しかもやってた方が調子がいいことでさえも、続けようと決め始めると途端にやらなければいけないタスクと化してくる瞬間がある。

話はnoteに限った話ではなく、自炊をしよう!とか、トイレ掃除を毎朝しよう!とか毎日納豆を食べようとかそういう小さいことでも起きる現象は同じ。

三日坊主でも3日はきっと続けられるのだけれど、それを少し超えたあたり、その行動が習慣化してきそうなタイミングくらいになって、なぜか半強制的にそれがどうしても出来ないような日が、ポンと1日突如発生することがある。体調を崩すとか(女性なら生理がくるとかも。)、外泊になるとか、人が突然家に来るとか。その行動が「いつも」のことになってくれそうなタイミングで、いつもの通りに生活が出来ない日がなぜかやって来る。

そうして、どうしても今日はできないよ〜という日が来ることで、どうしても「やりたいこと」だったはずが、いつの間にか「やらなければいけないこと」に認識がすり替わっていることに気づく。体調崩してるけどやるって決めたしやらないとなあ。予定いっぱいだから掃除してる余裕なんてないけどやるって決めたからやらなきゃなあ。そんな「やらなきゃ」に勝手に押し潰される。

でもやっぱり出来ない日はどう頑張っても出来ないもんで、今度はできなかった自分の意思の弱さを責める羽目に。1日できないと、なぜか2日できなくて、3日できなくて…とやっている間に、こんな自分はもうやめた方がいいんじゃないかみたいなことになってくるわけだ。せっかくやりたいことがちゃんと習慣になりそうなタイミングで、無念にもそうして断念することになる。

そしてそうなってしまうのはきっと、ただ素直にやりたい気持ちでやる行動という『点』をすっ飛ばして、やりたいことを「継続する」という『線』を描くことが目的にすり替わっているから。

当たり前のことだけど、線は点を書き続けた結果でしかない。

線を描くことを目的とした意識でいるよりも、なんなら線にならなくてもいいから、自然と生まれる「やりたい」の気持ちに優しく目を向けて、今日はやりたいかも!みたいな気持ちが生まれるのをちゃんと待ってあげる。そしたら時間は空いても、ちゃーんと戻って来れるし、きっといつの日か、時間を空けたからこその面白い形の線がいつの間にか描けていることにあとから気付けるもんだ。

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