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テイカーまでもいかないスライサー#16


ギブアンドテイク
「ギブ」気質=与える人=ギバー
「テイク」気質=奪う人=テイカー

最近、ギバー、テイカーという言葉をよく耳にする。ギバーとテイカーの対比はビジネス書や心理系の本によく出てくる。

澤円さんがよく「ギブファースト」といわれるように、ギブする人は一見、損しているように思われるけれど、長い目で見れば豊かになれると言う文脈で語られることが多い。

ただ世の中にいかにも人から奪っている感じのあからさま「テイカー」は少ない。

テイカーというより、奪っている本人も奪われている側も気づかず、サラミをスライスするように、じわりじわりと奪っていく「スライサー」(尾石晴さん命名)が大多数ではないかというのが、今回の問題提起。

まず「スライサー」という名前の付け方が絶妙だと思います!

例えば、時間に少し遅れてきて何の悪びれもしない人、自分の手を汚さず人にちょっとしたことをやらそうとする人、
晴さんは「損をしたくない人」と表現をしています。

こういう人に、心を少しずつ削られ、知らず知らずの間に奪われてしまっているのだと。

今回も「いるいるこんな人!!」とかなりの共感を得たのか、Voicyのコメント欄も賑わっていました。

でも、これは気をつけないと子育て世帯は知らず知らずの間にスライサーになることだってあるかもしれません。

イヤイヤ期の終わりなき戦い

まず、自分の子供に関しては、お母さん聞いて聞いて、あれやってこれやって、と言われる方なので、ギバーにならざるをえません

しかし自分の子供以外の他者に対し
「誰かに助けてもらうのが当然」というギバーから転じてテイカーとまではならずともスライサーになってしまう可能性もあるかもしれない、と思うんです。

家族に対してもそうです。

自分の親や夫に対して何かをやってもらうことを当然のように思ったり、自分だけがしんどいと言う話を延々聞かせれば、いくら自分の家族でも擦り減らされてしまう

まずは、自分や他者の中に無自覚的に存在するスライサーの存在を「自覚的」に捉えてみるところから始めてみよう、と思いました。

スライサー、面白い気づきです。

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