社会生活を営む上で最も邪魔になるもの#35
今回の記事も澤円さんから。
結論から言います。
さらっと言われたんですが、そうそう、それだよなあ、といつも澤さんの言い回しにスカっとした気持ち良さを感じます。
私も大いにあります
今思えば私も長い間、これに苦しめられてきました。
家柄学歴教養、どれも中途半端なのですが、
バカにされたくない、自分を大きく見せたい、
と言う気持ちが自分を苦しめ、周りも不愉快な気持ちにさせていたのかもしれません。
でも考えてみたら、滑稽な話ですね。
自分も周りも面白くないのに、どうしてそんなことをするのか。
これは育った環境もあったかもしれません。
いわゆる京都人のなかで育ち、人を値踏みしいけずする大人もいましたし、バブル期に子供時代を過ごす中、持ち物やいい学校とかで見栄を張る人たちも多かった。
そんな中で、知らず知らずの間に自分の鎧を着ていたのかもしれません。
あ、いけずと聞いて、京都人のことを嫌いにならないでくださいねf^_^;
そういう人はごく一部です。
小さな子供にさえある
このプライドというか「我」=エゴは小さな子供、3歳児にさえあると思います。
先日、私が保育園からもらってきた写真を片付けていると、自分が見たいのに、勝手に私が片付けたことが気に食わず、3歳の娘が写真をポイポイ投げ出しました。
その時の娘はさほどに怒っているテンションではありませんでした。。
ところが、それに対して、私が
「大好きなお友達や先生が写っている写真を投げるなんて、ひどいね」と言うとその時、娘は激昂。怒り狂って爆発的に大泣きしました。
私も言い方が悪かったと反省しましたが、
大好きなお友達の写った写真を投げた自分を受け入れられず、気持ちを抑えられない様子でした。
これは、彼女のプライドが自分を苦しめた瞬間なのではないかと思ったのです。
中二病は余分なプライドの肥大化
中二病とはまさに余分なプライドの肥大化。
「俺はまだ本気出してないだけ」
「俺はやるぜ。何かを」
ネタかよ、という感じなのですが、現実の自分を見ず、プライドで自分を囲っていかないと生きていけない。
でも、この「承認欲求」と言うもの自体は人間の本能というか、普通のことだと思うので、恥ずべきものではないと思うのです。
プライドのサイズは変わらなくてもいい。
中二病みたいにならないように気をつけるのはプライドの持ち方や外部への出し方なのだと思います。
私が変わったきっかけ
私が変わったきっかけの1つに結婚があります。
私の夫の家系はすごく勤勉で真面目なのですが、
決してそこにプライドを置いていない。
比較的表面的な学歴にとらわれる傾向のあった私の家系からすると、すごく楽な感じがして、とらわれの心の1つがなくなりました。
あと、夫や子供と言う自分の愛する家族が得られたこと。
心の拠り所ができたので、自分を大きく見せる必要はなくなったと言うのもあります。
ありがとうとごめんなさいから始める
澤さんのVoicyのことの発端は、澤さんに失礼なことを言った新社会人に対し、最初は澤さんは眉をひそめていたのですが、その後その若者は澤さんに直接きちんと謝罪をされた。
これに対して澤さんは感動し、自分に失礼なことを言ったその若者に対して最大限のエールを送ったのです。
まとめ
小さな子供や中二病は心が未成熟だからありがとうやごめんなさいが言えない。
しかし澤円さんは残念ながら、ありがとうやごめんなさいが言えない人はいわゆる「オッサン」にも数多くいるといいます。
自分も周りも苦しめる余分なプライドを排除するには、まずはありがとうごめんなさいを素直に言うところから始めてみる。
そして愛すべき人を愛し、心の土台を作る。
これが、社会生活で自分も周りもハッピーに生きるために大切なことなのではないかと思います。
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