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イアン・カーティス、23歳で首をくくったヤツ

 僕はジョイ・ディヴィジョンの「Atmosphere」という曲を、バウハウスの「All We Ever Wanted Was Everything」と並んで世界一陰鬱な曲として認めている。冷ややかで重たく耳に響くドラムで始まるイントロ、23歳で自殺したイアン・カーティスの肖像を遺影のように持ち運ぶフードを被った白黒の奇妙で宗教的な集団。波打ち際を、草原を往く。

 2007年、イアン・カーティスが自殺するまでを淡々と描いた「コントロール」とともに、ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリー映画が公開された。その映画を見ると、イアンがイギリスに訪れたかのウィリアム・S・バロウズに会おうとしてはねつけられていたことがわかる。
 イアンの書く歌詞にはバロウズの影響が大きい。セカンドアルバム「Closer」の1曲目である「Atrocity Exhibition」はJ・G・バラードの「残虐行為展覧会」によるが、この短編小説はバロウズの影響を受けていることで有名。また、「Unknown Pleasures」の「Interzone」、インターゾーンといえばバロウズの小説に出てくる架空の都市のことだ。

 「コントロール」に関しても、僕は20数年の人生の中で見てきた映画の中で一番最高に陰鬱な映画だと認めている。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」よりも「ミスト」よりも「ファニー・ゲーム」よりも。白黒で撮られていて、一人の男がてんかんを起こしたり、結婚して子供がいるのに浮気したりして、最後に首をくくる。一人の男っていうのがイアン・カーティスなんだけれども。

 27クラブ、ジミ・ヘンドリックスより、ブライアン・ジョーンズより、カート・コバーンよりも4歳若くして死んだ。なんてことだ。リヴァー・フェニックスも23歳で死んだ。オーバードーズだった。なんてことだ。

 彼が自殺する直前に見ていた映画は「シュトロツェクの不思議な旅」だった。監督はヴェルナー・ヘルツォーク。少し前に目黒で上映していたので僕は一時間ちょっとかけて見に行った。なんならチケットが残っているから証拠を見せてもいい。

 彼が死んだあと、生き残りの者たちはニュー・オーダーというバンドを結成し、1983年にシングルとして「ブルー・マンデー」をリリースした。彼が首をくくったのを最初にメンバーが知ったのは月曜日だった。ブルー=憂鬱な月曜日。ドキュメンタリー映画のサブタイトルに「1300回の月曜日のあとで」というのがあった。映画が公開されるまで、1300回の月曜日が経過したということだ、おそらく。気取った表現だな、と僕は思った。

 「コントロール」で、イアン役のサム・ライリーがワーズワースの「虹」を引用していたのをよく覚えている。僕は岩波文庫のイギリス名詩選を持っているから、その部分を丸っとここに引用することができる。

私の心は踊る、大空に
  虹がかかるのを見たときに。
幼い頃もそうだった、
大人になった今もそうなのだ、
年老いたときでもそうでありたい、
  でなければ、生きてる意味はない!
子供は大人の父親なのだ。
願わくば、私のこれからの一日一日が、
自然への畏敬の念によって貫かれんことを!

「イギリス名詩選」岩波文庫

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