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【前編】カウンターカルチャーと初期のハッカーの思想をつなぐロードマップ

 この小論は60年代におけるカウンターカルチャーと初期のコンピュータ文化の関連を、あくまで事実を元に分析してみようという試みである。恣意的、牽強付会な関連付けは避けるように努めている。

 エリック・S・レイモンドの著作「ハッカー界小史」や「ハッカーの復讐」に目を通していると、コンピュータ文化がまだ地名と深く結びついていた初期の頃のことがわかってくる。
 東海岸ではIBM本社のニューヨーク、メインフレーム大手のDECやそのメインフレームを1961年に購入していたMITがあるマサチューセッツ、CMU(カーネギー・メロン大学)のペンシルベニアなどがある。
 一方西海岸ではパロアルト研究所、SAIL(スタンフォード大学人工知能研)、そしてシリコンバレーがすべてカリフォルニアに集結している。

MITが1961年に購入したPDP-1

 まず誤解のないように説明しておくと、この「ハッカー」という語は英語本来の意味、すなわちコンピュータを利用して攻撃をしかける犯罪者の意味ではなく(本来はクラッカーと呼ぶ)コンピュータに精通している人、という意味である。
 まずはハッカーの思想について理解しよう。ハッカーたちは(少なくとも初期のハッカーたちは)非常に独立心が高い。自分たちだけでなんでもやってやろうと考える。政治的には自由主義、民主主義の立場を取り、特にエリック・S・レイモンドなどの一部の人間はリバタリアニズムの立場を取る。
 まず、政府と独占企業を嫌うというのが特徴だ。
 エリック・S・レイモンドの「リバータリアンがビル・ゲイツを愛せない理由」ではこう書かれている。

一連の事実に対して唯一筋の通った反応は、司法省とマイクロソフトの双方を非難することなんだ。一方が悪党だから他方が聖者ということにはならなくし、一方が明らかに威圧的な手段を取っている事実さえも、自動的に他方の不品行を帳消しにするものではないんだ。

リバータリアンがビル・ゲイツを愛せない理由

 彼の考えではこうだ。マイクロソフトが市場を独占していても、それは「神の見えざる手」によって修正されるのを待つべきであって、政府が介入するべきではない。リバタリアニズムは個人の自由と経済の自由を主張する思想なのだ。
 政府や独占企業を嫌うという点は現代にも通じるものがあって、ブロックチェーンやビットコインによって中央銀行やGAFAMの中央集権的な状況が解消されるのではないか、という見方は彼らをルーツにしているとも見れる。

 そして初期のハッカーたちはコンピュータ文化を自分たちの手だけで作ってきたという自負がある。
 最後の真のハッカーと呼ばれたMITのリチャード・M・ストールマンはフリーソフトウェア財団を立ち上げ、GNPライセンスという「誰でも自由に利用・改変・再配布できる」ライセンスを作成、そのライセンスを付加したGNUソフトウェアにおいてLinuxに多大な貢献を残し、オープンソースソフトウェアの基礎を作り上げた。
 当時はUNIXという高価なOSしかなく、自由に改変することもできなかった。ハッカーたちは独力でフリーのソフトウェアとOSの開発に乗り出した。そして完成したのがGNU/Linuxである。

(下記はリチャード・M・ストールマン作曲『フリーソフトウェアの歌』。歌詞はちゃんとパブリックドメインなのだ)

~後編へ続く~

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