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for (i = 1; i > 0; i++) 【ショートショート】

 我らが近所の子どもたちは、学校が終わると元気に外で遊びまわる。私が部屋にいると、しょっちゅう彼らの明るい声が聞こえてくる。いつも五人で、うち男の子が三人、女の子が二人。よく走っているところを見かける。すれ違ったことはないし挨拶もされたことはないけれど、声だけはよく覚えている。誰から発せられたか見ないでもわかるくらいには覚えてしまった。
 彼らは別に悪がき、悪戯っ子とかではないけれど、ときどき町を落書きしてまわることがあった。落書きといっても子供のお遊び程度のもので、簡単に消してしまえるもの、ゆえに常に見過ごされるものだった。公園の遊具に、塀のポスターに、錆びた看板に、鉛筆とかマジックペンで描かれることが多かった。内容も大したものじゃなく、誰が誰のことを好きだとか、ある先生の全然悪気のないあだ名とか、ほんとにそういうものだ。私の家の標識も一度、ほとんど見えるか見えないかの字で漢字を一文字足されおかしな名前に書き換えられていたことがあったが別に咎められるようなことじゃない。
 ある時、私は近くの郵便ポストまで散歩に行く途中、こんなものを見つけた。

 それは灰色のコンクリートの歩道の、黄色い点字ブロックの横あたりに手書きで書かれていた。黒の絵の具と定規を使った非常に手の込んだ二次元バーコードだった。大きさはたぶん30cm×30cmくらいだったと思う。
 そしてよく見れば、その落書きは歩道のいたるところで見受けられた。というか、それは歩道だけではなかった。アパートの壁とか、道路のガードレールとか、交番みたいな思い切ったところにまで二次元バーコードが書かれていた。携帯をかざしてみるとちゃんと読み取ることができた。
 町の人々は混乱したが、時を待たずして例の五人組の子どもたちが犯人とわかった。いったい彼らは何をもってバーコードの落書きをしたのか。一見、バーコードがあると気がつきにくいようなところ、例えば黒っぽい石の敷き詰められたでこぼこした道の上にまで落書きされていた。もちろん携帯をかざしても読み取ることはできない。
 子どもたちは一心不乱にバーコードを描き続けていた。定規と黒の絵の具のチューブをランドセルに詰めて。学校にも行かずに。これは奇妙なことだ。何者かが子どもたちの頭に細工を仕掛けている、ということはない。その何者かっていうのはこの世界にはもう存在しなくなっているから、これは子どもたちの頭の欠陥ってことになる。
 システム化された子どもたちの頭にとってこういう行動は想定されていないから、町の人々は然るべきところに修理を求めた。いま、子どもたちは市外のどこかでエンジニアに頭をいじくられている。そのうち彼らは完璧な状態で町に帰ってきて、またこの部屋に明るい声を響かせてくれるだろう。
 そろそろ私は定例の郵便ポストまでの散歩を開始しなければならない。それが終わったら部屋に戻ってきて何かが起こるのを待つ。いつものことだ。何かが起こるまでじっと立って窓の外の喧騒に耳を澄ませる。通りを歩く人が気まぐれに目を上に向けてみると、こちらをじっと見つめる私の顔に気がつくだろう。特にそれでどうなるわけではない。何かが起こるのを待っている、ただそれだけのことだ。

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