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お母さん3年目、息子が気づかせてくれた5つのこと。

子育てを始めて3年半が過ぎた。

息子が生まれてからの期間は、息子の眼差しから世界を再度見させてもらいるような感覚がある

今日は、彼と共に生きる中で
気づかせてもらったこと、
彼に教えてもらったこと、
彼がいたからこそ変われたこと、
を言葉にしてみたい。



1. 人はもともと学び、成長する力がある。そして、その根底には願いがある

息子は今3歳。
あっという間に
ハイハイができるようになり、
歩けるようになり、
単語を発することができるようになり、
会話が成立するようになった。

最近は、悪ふざけやいたずらもきるようになった。



そんな息子の成長をみながら、思い出すのは『学習する組織』著者である、ピーター・センゲ先生の伝道師である福谷さん(福ちゃん)から教えてもらった言葉だ。

学習は、「何か願うこと(ビジョン)」があるから起きる。
そして、人間は生まれながらにして、自分にとって大事なことをできるようになる学習する力を持っている。

『学習する組織』著者のピーター・センゲ先生の言葉



人は、歩けるようになるとき、
話せるようになるとき、
自転車に乗れるようになるとき、
そこあるのは、「〜したい」という願いだ。

ビジョンと言う言葉は、壮大な言葉に聞こえるけれど、人は本来「こうしたい(ビジョン)」という純粋な願いを本能的にもっている。

そしてその願いに突き動かされて、学び、成長を続ける力がある

私の大好きな本「美-「見えないものをみる」ということ」で、資生堂名誉会長 福原 義春さんもこう述べている

人間は、「ただ生存するだけの動物」ではない。今よりももっとよくしよう。よく生きようと考えるのは、人間にしかない特徴だろう。

「美-「見えないものをみる」ということ」(著者:福原 義春)


2. 人は変わり続けている。一瞬たりとも同じじゃない

息子の成長は凄まじい。一瞬たりとも同じ瞬間はない。
それを一番痛感させられたのは、離乳食をあげていた期間だ。


最初はとにかく離乳食を嫌がっていた

昨日は離乳食を口にも入れたくなかったけど、今日は完食。
昨日は食べさせて貰わないと食べられなかったけれど、今日は自分で食べたいし食べれる。
今日はスプーンとフォークを自分で使い分けて食べられる。

昨日までそうだったから、と今日同じことをしようとしても通用しない。

今日の彼は、昨日とは違う。全く新しい彼だ。


その他にもたくさんある。これは例を上げてもあげきれない。
昨日は靴は一人で履けなかったけど、今日は一人で履ける。
昨日はトイレをさせてほしかったけど、今日は一人でトイレをやりきりたい。
昨日まではパズルは一緒にじゃないとできなかったけど、今日は黙々と一人で完成させた。
など。


私はプロコーチとして、観察をすること、傾聴することに対して少しは自信があった。

しかし、毎瞬間変化していく息子を前に、強制的に毎瞬間アンラーンが求められているような感覚だった。

そして変化の速い息子を前に私は正直自分の人の捉え方に愕然とした。

自分が人と接するとき、いかに固定的に、過去のバイアスを引きずって人を捉えていたか、
いかに目の前のその人をそのまま見れていなかったかを思い知らされた。

人が、過去の延長線上に物事を認識することはとても自然なことだ。

ただ、固定的に人を捉えることが、
いかに、その人の成長を妨げるのか?
いかに、その人との関係性をアップデートすることを妨げるのか?

息子に教えてもらったように思う。

息子と接してきたこの3年間で、

私は人を見る目、そして自分を見る目も変わった。

「私たちは、見える世界を認知するのではない。私たちは、認知できる世界を見ているのだ」

『学習する組織』著者ピーター・センゲ 福谷さんの文章から引用

今日の私は、昨日の私とは違う。

今日のあなたは、昨日のあなたとは違う。

小さな変化に気づき、いまこの瞬間の、その人と生きる姿勢を少しずつ育ててもらっている。

3. すべての人は赤ちゃんだった。そして今も成長のプロセスにいる。


当たり前の話だが、すべての人は赤ちゃんだった。

子供が生まれる前の私は「今目の前にしているその人」しか捉えられなかったかもしれない。

でも、子供が生まれてから、その人がどんな生き方をしてきたか?何がその人を作り上げてきたのか?に好奇心がわく頻度が増えた。

そして、同時に気づいたのはすべての人は成長しているプロセスの中にいる、ということだ。

目の前にいる偉い人も、ちょっと嫌な気持ちにさせられるあの人も、成長しているプロセスの中だ。
完璧な人なんていない。

それは自分も同じ。

人は、自分のことになると、厳しく攻めてしまったり、許せなかったりすることがある。
でも、子供の成長を喜ぶように。自分の成長だって喜んでいい
成長のプロセスの中にいるのだから、完璧な自分であらねばと怖がる必要もない。
息子の成長過程を見守らせてもらいながら、そんな気持ちが湧いてきて、以前よりも、人に、そして自分にも優しくあれるようになった。

これが「セルフ・コンパッション」の感覚かな?なんて思いながら。


4. 人の生命力への信頼ー「死にゃしない」という感覚

息子が生まれた直後、心配なことも一気に増えた。

「寝ない!」「食べない!」「そこは危ない!」「それ食べちゃだめ!」
小さなことで最初はパニックだった。

「これはしちゃだめ」
「これをしないとだめ」
それを自分に対しても息子に対しても強く持っていた時期があった。

そんなとき、出会ったのが「92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て」という本のこの一文。

危なくても、面倒くさくても、経験させてみる。

「92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て」(著者:大川 繁子)

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%B7%9D-%E7%B9%81%E5%AD%90/e/B08JPN3GM9/ref=dp_byline_cont_book_1


この本に書かれていたこのフレーズが私の心のなかでの大切な子育ての指針の一つになった。

よく考えたら、生きる中で体験するあれもこれも「死にゃしない」ことばかりだ

「死にゃしないからOKだ。後は、やってみて学んでいこう!」

そうおもったら、息子が好奇心を持ってやり始めるいろんなことにOKを出せるようになった。


「コーンスープにいちご牛乳入れてみたい」「いいじゃん。やってみ」
「泥水の中でカバさんごっこしたい」「いいじゃん。やってみ」

公園の水たまりでカバさんごっこをする息子


死にゃしないならOKだ。

そんな声がけを息子にかけていたら自分がなにか挑戦をするときにも同じような感覚をもつようになった。

やってみたい新しいこと(挑戦)には、怖さは付きまとう。
それやったら怪我するんじゃないか?
それやるとご飯不味くなっちゃう…
それやるとうまくいかない…
やってみて失敗したら、嫌な気持ちになる…


でも冒頭でも書いた通り

学習は、「何か願うこと(ビジョン)」があるから起きる。
そして、人間は生まれながらにして、自分にとって大事なことをできるようになっていく、学習する力を持っている。

『学習する組織』著者のピーター・センゲ先生の言葉



やってみたいという願いから、私たちは学ぶ力がある。

死にゃしないからOKだ。
やってみようという合言葉を息子に対しても自分に対してもかけつづけていたら、自然と人の生命力に対する信頼が増した。

きっと、大丈夫。

ショベルカーごっこをしながら、泥を頭に運び、泥の帽子を作っている息子(笑)


5. ものごとを取り組む姿勢 ー 時間軸が伸びた


息子が生まれてから子供が生きる、これからの時代に対する不安も増した。
環境問題、子供の自殺者数の増加、うつ病になる人の数、精神的幸福度ランキングほぼ最下位・・など

「息子が大きくなったときの世界は、どんな世界なのか?」と静かに不安を感じながら、
「今と未来のためになっていると心から思えるいき方」がしたいと思うようになった。

大きなテーマを目の前に無力感を感じる日もある。
でも、その時に思い出すのはマザー•テレサの言葉だ。

偉大なことなんてできませんよ。
大きな愛を込めて、小さなことをやるんです

マザー・テレサ

このテーマは現在探究中だ。この視点から仕事を捉え、対話をしていきたい。



最後に、福ちゃんから教えてもらったウンベルト•マトゥラーナさんの言葉で締めくくりたい。

愛とは、相手を正当な他者と認める行為である
自分と違う他者が幸福であってほしいと願うとき、新たな知恵を生み出していく。

ウンベルト・マトゥラーナ


今日も新しい自分と、そしてあなたの大切な人とで会い直しができますように。



書き始めてみたら、システム思考の伝道師、福ちゃんから分かち合ってもらった言葉に溢れたので、せっかくなので福ちゃんの活動を紹介させてください。


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