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『たらればでもだって』の無限ループにお許しを

 今日も今日とて、仕事で大変な思いをした。

 会計処理が複雑になり、私一人ではさっぱり分からず、先輩にほとんど手取り足取り教えてもらいながら、紐解いて、どうにか前に進んだ。

 そもそもが私の誤りのせい。

 誤りを起こしてしまったことはもちろん、それを整理するのに先輩の時間を奪ってしまったことにも罪悪感が拭えない。

 とはいえ、先輩は決して怒らず、謎解きをどこか楽しんでいるようにすら見える感じで、サクサクと処理を進めてくれた。それは大変にありがたく、恐縮し、ひたすら頭を下げるしかなかった。

 その時は焦りと分からなさのせいで私も周囲の音も耳に入らないほど夢中になっていた。

 何度も手戻りして、やり直して、夕方、ようやくカタがついたころにどっと疲れが押し寄せ、我に返った。

 私は、何をやっているんだろう。髪振り乱してまで。
 挙げ句に、他の仕事にしわ寄せが来ている。

 苦手なことを必死でやって、やはり間違えたり、分からなくなったりして、それでも頑張って調整したのに、また混乱して…。

 この仕事、本当に向いてないんじゃないか。

 大義名分として、やりがいはあるのは知っている。頭では理解できる。
 同僚も、先輩も含め、いい人がほとんど。いつも励ましてくれる優しい同期もいる。

 それなのに、私の心は喜んでいるか。
 否、いつも半泣きだ。

 働くのはお金のため?生活のため?生きるため?

 生きるためだとしたら、私はこの仕事で活かされているのかと考えてみると、甚だ怪しくなってきた。

 好きな部分ももちろんある。

 でも、ほとんどが苦手か苦痛か退屈だ。

 仕事なんてそんなもの、という人もいるだろう。苦労せずしてお金は手に入らない。楽しむなんて間違っている。

 少なくとも夫は、『仕事は楽しむものではない』と言う。

 そういいながら、彼は愚痴が毎日溢れ出していた会社を数年前に辞めて独立し、マイペースで自由にやっているのたが。

 私にも好きにしたらいい、と言ってくれている。
 
 でも、そうなった時に家計はどうなるか?

 私は、自分の物欲などをこれまで以上に我慢できるのか。

 旅行も行けなくなるかもしれない。

 子どもの様々な体験の機会を妨げやしないか。

 一方で、ストレスの少ない仕事をして、時間にゆとりを持ち、家のことを大事にしていたら、これまでにない満足が得られるかもしれないとも思う。

 でも、職場は家から徒歩10分圏内。この地域で生活する限りは、何度も行くことにもなる場所。

 辞めたとして、どんな顔をしてそこを通ればいい?

 元同僚がコソコソ何か噂をしようと、そんなの好き勝手言わせておけばいい。気にするだけ無駄。そんな天の声も聞こえてくるが、何しろ狭い世界だ。どこまで無視していられるか分からない。

 何しろ全てが想像でしかないのが厄介だ。

 もう一人、コピーロボットみたいなのがいて、別の人生を試してみることができたら、どれだけいいだろう。

 たら、
 れば、
 でも、
 だって、

 そんなことばかりで前に進むとは思えない。前に進みたいのにこの矛盾。

 最近は、YouTuberとかインスタグラマーとか、SNSで自分をさらけ出し、生き生きと仕事をする人たちの存在もよく目にしている。
 また在宅ワークで都会の会社に勤めている人や、起業家など自由な働き方をする人が周りにも増えている。

 こういう情報も極めて毒だ。

 彼らも様々な苦労が背景にあるのかもしれないが、まるでそうは見せない。至って楽しく、明るく、順調に、自分の魅力を仕事に活かしているように思える。【隣の芝は青い】現象だろうか。

 それも幻想かもしれないのに、何故か物凄いエネルギーと眩しさを放って、視界や心に飛び込んでくるからたまらない。

 見なければ。
 知らなければ。

 そう思うこともある。

 でも、明るく楽しそうだからこそ惹かれるものがある。

 とはいえ、どこまで行っても自分で体験しなければ何も分からないままだろう。

 よく『じゃあ、何がしたいの?』と聞かれるが、いまいちピンとこない。

 今はただ、マルチタスクや飽和した仕事から逃げたいのだ。マイペースに時間を使ったり、じっくり考えて事を進めたりしたい。

 逃げるというのは、あまり印象がよくない。だから、そう思うこと自体にも罪悪感がある。

 逃げちゃだめだなんて、誰にも言われていないのに、何を自分に課しているのか。

 弱虫な自分を受け入れたくないだけなのかもとか。

 すごく弱っている人が目の前にいたら、どうか生きるために逃げて!と全力で言うはずなのに、なぜ自分に言えない?

 どこかまだ自分を過大評価している部分があるのかもしれない。みっともない。
 本当の自分のサイズが知りたくてたまらない。

 靴や服を合わせるように、仕事もじっくりフィッティングできたら良いものを。

 

 

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