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強く生きるための心構え


自分だけ特別と思わない

これは私が気をつけていること。
adhdを持っていると
時間に遅れ気味になったり
整理整頓ができなかったり
予定をうまくくめなくて
友達に謝ることもたくさんある。

adhdだから仕方がない
わけではない。

28年も生きると
人が皆「普通」じゃないことに気づいてくる。

貧乏
いじめを受けた
大事な人を失った
暴力を受けた
病気になった

このようなことがあると
その人の心には余裕がなくなる。


生涯の途中で病気を抱え、
できていたことができなくなることは
稀ではない。

父もその1人で
45歳の時くも膜下出血で倒れ
手術をした。
奇跡的に一命を取り留め
その後職場復帰も果たすが
私たち家族は
父が以前と
全く同じではないことを知っている。

病気の前よりも
感情の起伏が激しくなった
急に怒るようになった
問題解決能力は以前より低くなった


身体面では
左半身は1泊遅れて反応する。

病気から15年が経っている。
今なおその様子に変わりはない。
こうなるとこれが
手術による後遺症なのか
性格の変化なのか 
どうでもよい。
これが「いまの父」なのだ。

頭の切れる祖母は
1年前から認知症が進んでいる。
物忘れはひどくなり
勘違いも増えた。
これまで完璧の段取りをして
スムーズにことを進めてきたが
今は段取りの「だ」のじもない。
また、感情の起伏が激しくもなった。

しかしこのように家族が変わったことが
世の中で日々起こっている出来事の中で
決して珍しいわけではない。

生涯で怪我をすること
病気を患うこと
障害が発覚するのは
マイノリティでもなんでもなく
当然のように起こる
マジョリティなのだ。

自分も身近な人にも
全く何事もなく生きている人の方が
むしろ少数派である。

あなたがみている
職場の人や、知り合いには
実はこんな疾患があり
この人の家庭環境は...
などとわかるだろうか。
わかるわけがない。

皆程度は人それぞれであり
ジャンルも違えど何かを抱えたり
乗り越えたりしている人ばかりだと
私は思う。

さらに人生には
疾患だけでなく

様々な苦悩があるけれど
それらを理由に
何かが許されるのだろうか。

そんな中で
自分は特別だろうか。

皆、「何か」を抱えている。
それは本人も気づいていないかもしれないし
別にその「何か」を人と比べることは必要はない。


ただ言えるのは
「私は特別ではない」
ということ。

だから
「みんな私のことわかってくれない」
とは思わない。
みんな私のことはわからないし
私もみんなのことをわからない。

ただお互いにわかろうとできれば
優しい世の中になると思う。

困っている人がいるなら
助ければいい。
原因なんて病気でも障害でも、家庭環境でも
心の余裕がない、でもどうでもいい。

やるべきことに変わりはないからだ。

ただ、人に優しく
想像力豊かに
そんなことを思いながら
私は人と接するようにしている。

そんな私は最近
モーニングライブを毎日6時15分からやっている。
元気になれるのでぜひ立ち寄っていただければと思う。

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