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私自身のことを書きます。

2023年現在、中年世代で40代後半。
ここまでの履歴、略歴を、
「住民」「浪人」というキーワードで
書いてみたい、と思うのです。

本記事では、
◆住民:地域などに密着した生活
◆浪人:地域などを越境した生活

というイメージで書きます。

簡単にまとめますと、以下の通り。

◇十代頃:住民(地元)
◇二十代:浪人(放浪)
◇三十代:住民(結婚)
◇四十代:住民で浪人(模索)

順番に行きます。

◇十代頃:住民(地元)

高校卒業まで基本、地元での生活。
電車の駅が無いような地方に生まれ、
いわゆる「過疎地域」の中で
二十歳前までの人生を過ごしました。

自動車を自分で運転できない
十代頃までは、移動手段と言えば
家族の運転する自動車を除けば
徒歩か、自転車か、バスか、くらい。

山と田んぼとさびれゆく町並み…。
新しいお店は、ほとんど現れません。
飲食店も本屋もほとんどありません。
一クラス二十五人ほどの
学年二クラスの小学校。
選択の余地なく持ち上がる中学校。
会うメンバーはほとんど変わりません。

テレビやゲームなどの「箱」の中では
華やかな芸能界(バブル期~崩壊期)や
冒険の旅を垣間見ることができましたが、
基本、今日見ている風景が
明日も明後日もずっと続いていく…。

そんな世界だった。

都会の目まぐるしい、華やかな生活!
例えば「オフィスラブ」「満員電車」とか
「通学中に大人の会社員を見かける」とか、
テレビや小説、漫画など以外では
そんな風景は「全く」味わえませんでした。
リアルではなかった。
土と山の匂いだけが、リアルでした。

当然ながら就職先もほとんどありません。
農家か公務員か、などでないと
自分自身で生活を成り立たせることが
イメージできない世界…。

ただ、一つだけ「道」がありました。
(と錯覚していました)

それが、小中、高校、大学と
進学して「地元を出る」ルートです。
そこに何があるかは分からないけれども、
そのルート、いわゆる「脱藩」、
地元を離れるルートだけが
一つの光明のように私には思えたのです。

しかし自然豊かな生活に囲まれていて
都会というものにどことなく
恐怖を感じていた私は、

都会でなく、地方の大学を選びました。

◇二十代:浪人(放浪)

そもそも会社に入って働くイメージが
わからない大学生だった、と思います。
(タイムスリップして当時の自分に
キャリア教育をしてみたい気分です)

今ならばネットやSNSや、
あるいは「キャリア教育」などで
リアルに触れる機会もあるのでしょうが、
私が大学生活を過ごした
1990年代後半はようやくネットが普及し、
情報に触れられ始めた、そんな時代。


某宗教団体の事件や阪神淡路大震災、
山一証券倒産、「社員は悪くありません」、
ひたすら世の中は暗転していくイメージ…。

恥ずかしながら私は
今の熱意ある大学生や就活生の皆さんとは
比べ物にならないほど、
「キャリア」についてはちっぽけな
イメージしか持っていなかったと思います。

いや、当時でもしっかりと
イメージを持って活動していた人も
いたのでしょうけれども、
そもそも働くことに対してあまり
イメージのないまま大学生になった私は、
「就活」に対しても
「来た球を打つ」受け身にしか過ぎません。


当時は、就職氷河期のピークです。

紙のカタログとPCの両方を見ながら、
受けても受けても、落ちた。当然です。
受ける自分の中は、空っぽだった。
受け入れる会社にも余裕がない…。

私は、地方の教育産業に入社しました。
夜の勤務でした。数年でお金を貯めて、
大学院に行きました。
地理歴史、地歴の教員になろうとした。
「専修免許」というものを取らないと
ほとんど受からない、と言われた時代。

…ところが氷河期のあおりか、
地歴教員の募集が「無かった」。
入る前に調べろよ、という感じですが。
(ただその頃、ほとんど採用せず、
今頃「教員不足だ」と騒いでいるのを見て
何を言っているんだ、という気分です)

…何のために自分はここに来たのか?
ひいては、何のために生きているのか?
教えるのはおこがましいのでは?
自分がやってきた土台ががらがらと崩れ、
否定された気に勝手になっていました。

少々、人生に捨て鉢になった気分の私は、
もうどうせ求人がないのなら
せめて膨大な会社があるような大都会で
一度働いてみようと思いました。
当時は小泉首相の
「劇場」が華々しく展開されており、
殺伐な中でも何となく明るかったから。

深山幽谷の中の仙人みたいな生活から
東京に行きました。
残金は、ほとんどありませんでした。

ただ住んでみると、そんなに怖くはなかった。
失望と絶望を繰り返してきた私は、
少々、図太くなっていたのかもしれない。
当時流行し出した「つけ麺」も
太麵で、美味しかった。

教育関連の出版関連の会社。

そこで、三年ほど働きます。
何社か経験しました。
そのうち、結婚することに決め、
家族の地元、地方に住むことにしました。

◇三十代:住民(結婚)

結婚を機にして、子育てや家など、
そんなことをリアルに考えるようになります。
それまで「流浪人(るろうに)」、
「人斬り抜刀斎」のような生活を
していた私にとって(斬ってはいませんが)
これは、かなり新鮮なことでした。

ふらふらと糸の切れた凧が
糸に再びつながれたような感じ。
地元で狭い世界で過ごした人間、
大学進学を機にふらふらと
「脱藩浪人」になった人間が、
改めて住民になったような感じです。

家族には感謝しています。

そのまま40歳になり、
生活も地に足がついてきたので、
好きだった歴史や地理の関連で
何かクリエイトしてみたいと思いました。

実用地歴提案会ヒストジオという名前で、
SNSも始めてみました。

40歳のお正月のことでした。

◇四十代:住民で浪人(模索)

当初はただ「大統領ですら
SNS発信をしている時代なのだから、
一個人、ただの庶民の自分が
SNS発信をしてみてもいいだろう」
という軽いノリでした。

X(旧Twitter)から始めて、
note、LinkedInも始めてみました。


SNSの大海に出てみると、
今までのリアルな生活では
触れ合えない方と触れ合うことができ、
とても刺激になりました。

今もこうして、自分の思ったことを書き、
まがりなりにも「伝え」、その上で
振り返ることができています。

最後に、まとめます。

本記事では、私のちっぽけな履歴、
「住民と浪人の反復横跳び」
について、書いてみました。

ただこの「住民」と「浪人」の両方を
十年単位でどちらも実感、体感できた、
その経験が、今の自分を作っています。

「地を這う虫」「空を飛ぶ鳥」の両方。
これからは、その経験を
生かしていければ、とも思っています。

現在は、地方で足をつけながらも
ぴょんぴょんSNSで空を見ている…、
そんな感じです。

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いつも、ありがとうございます!

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