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映画「ロ・ギワン」(Netflix)解説


1.映画のあらすじ

映画「ロ・ギワン」の要約


先日、知人の勧めでNetflixで配信されている映画「ロ・ギワン」を視聴しました。(https://www.netflix.com/title/81616524
本映画は、Netflixオリジナル映画であり、2024年3月1日に公開されたものである。
本作は、2011年に発表されたチョ・ヘジン作家の小説「ロギワンに会った」を原作としています。

ソン・ジュンギ演じる主人公ロ・ギワンは脱北者であり、彼は朝鮮民主主義共和国→中国→ベルギーと国境を跨ぐ。

唯一の母親を亡くしたのをきっかけにして、ベルギーへの移住を余儀なくされたロ・ギワンは人生に対する意義を見出せずに、路頭にさまよい、命からがら難民申請をする。
しかし、韓国旅券を偽造し、ベルギーに渡った彼にとって、自身が脱北者であるという証明が何よりも難しかった。

さまざまな人との巡りあわせの中で、ロ・ギワンの人生が動いていく作品である。特にチェ・ソンウン演じるイ・マリという女性との出会いをきっかけに、二人が恋に落ちていくという恋愛物語も描かれている。

貧困や葛藤、恋愛やトラウマ、薬物に至るまでの、あらゆる題材を扱った本作は非常に示唆に富んでいる内容であるといえよう。

「ロ・ギワン」の一貫したテーマとは

さて、それでは本作の一貫した主題、テーマとはなんであろうか。
それはまさしく、「絶望」ではないだろうか。

本作に登場する人物はそれぞれの絶望を描いている。
主人公である、ロ・ギワンには母の死と移住や難民生活、アジア人蔑視の「絶望」。
ヒロインである、イ・マリにも最愛なる母との別れ、行くあてのない絶望をドラッグで埋めるという「絶望」。
マリの父である、イ・ユンソンも妻との別れ、そしてその間で発生した娘マリとの亀裂、自身の社会的立ち位置と娘の素行のギャップなどの「絶望」。
朝鮮族の労働者である、ソンジュには末娘の難病に対する仕送りの中で、ロ・ギワンとの関係を断絶するという人間性喪失の「絶望」。

他のどの登場人物にも、現代社会や国民国家システムが強いる人々の「絶望」を描いているといえるだろう。

2.「ロ・ギワン」に対する私見(ネタバレ含)

物足りなさの正体とは

さて、本映画を観られた方にも「うーん、もうちょっと…」、「なんか物足りないんだよなー」という感想を持たれた方も多いのではないだろうか。

その正体とは何だろうか。
私自身も物足りなさを感じた一人として、私見をまとめてみた。

①「絶望」の差異

本作では各登場人物の「絶望」を描いているのは間違いないだろう。
主人公ロ・ギワンとヒロイン、イ・マリも絶望のふちで出会った二人であり、お互いが「行き場のない二人」として描かれ、その共通点に惹かれあって恋に落ちていく。

しかし、果たして、同じ程度の「絶望」であろうか。
ロ・ギワンは唯一の家族である母を中国という異国の地で亡くし、自らの意志でベルギーに渡ったとはいえ、状況を鑑みると亡命者という表現こそ正しいようにも思える。そして彼は何よりも、朝鮮民主主義人民共和国からの脱北者であり、アジア人差別の被害者でもあり、難民でもあり、ホームレスでもあり、経済的貧困層でもある。
かたや、イ・マリはどうだろうか。
彼女は作中で母が亡くなる際に、自身の父親が安楽死を選択したことを知ることになる。それによって父親に対する不信感、居場所のない絶望から非行に走ることになる。
だがしかし、彼女は作中にも描かれているとおり、生活の土台である経済生活に関する不安は一切ない。ただあるのは、彼女の精神的不安定さからくる非行やドラッグ使用である。もちろん制度的差別の対象でもない。
果たして、かれ彼女らに共通する「絶望」とは何なのだろうかと思わざるをえない。

ここで留意しておきたいのは、「絶望という共通項がなかったとしても惹かれあったかもしれない」という仮説の陳腐さだ。
もちろん、その可能性も否定しない。
だが、しかしその仮説に則った場合、本作で伝えたかった「主題」とはなんだったのだろうか。
前述の仮説で本作を観るとすると、本作の評価は「ただのラブストーリー」になるという問題を内在してはいないだろうか。それこそ監督や原作者が伝えたかった内容であろうか。
受け取る側の、私たちも再考する必要があると考える。

②ロ・ギワンの「絶望」に対するリアリティの無さ

前述したとおり、ロ・ギワンは脱北者であり、難民であり、アジア人であり、経済的貧困層である。
本作で描かれた主人公像は、以上の内容を鮮明に描けていたであろうか。
ベルギーに渡った直後、ホームレス生活(経済的貧困)のさなか、青年たちにより暴行(アジア人差別)を受け、脱北の証明すらままならないままに難民申請すらも許可が下りない(難民+脱北者)という絶望的状況に陥る。
しかし、イ・マリとの出会いを契機に、バイト(経済的問題の一時的解決+脱ホームレス)をして、弁護士に出会い難民申請(難民+脱北者問題の解決)に関する裁判を行うことになる。

そして、最後はヒロインであるイ・マリとの海外での再会をもってしてハッピーエンドとなる。

しかし、事はこう単純に進むだろうか。もちろん劇中でも、時間の流れを感じないわけではない。何年の月日によって、難民としての権利を獲得したという回想もある。だが、彼から見える問題は、アジア人蔑視や難民問題だけであり、脱北者に常にかかわる経済的貧困問題や人権問題の根本的な解決を示唆するものではない。
むしろ、「劇的な恋愛によって基本的な問題が解決していく」という構図であろう。

もちろん、それ自体を否定はしないが、あえて「脱北者」として扱ったのであれば、より構造的な差別、構造的な支配構造、構造的な問題把握を示唆する内容にしたら、という感想を持つ。

3.まとめ

以上にまとめたような内容が、鑑賞後の違和感、物足りなさの正体ではないだろうか。
より繊細に詳しく言語化しない部分もあるだろうが、雑感を取り急ぎまとめた形になったのを、ご了承願いたい。

しかし、「脱北者」を主人公にしながらそこから見えてくる複雑な問題を、扱おうとした本作はそれ自体がとても意義のあるように思える。

自身の感想、私見だけではなく、一度ご自身の目で鑑賞されることを推奨する。

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