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【服部奨学生自己紹介】 第14期奨学生/青木門斗(東京大学)

服部国際奨学財団には、年齢・国籍・専門分野を問わず、多くの奨学生が在籍しています。今回は、2023年度・服部奨学生証書授与式の記事を執筆してくれた、第14期奨学生・青木門斗さんに、自己紹介記事を書いていただきました。


自己紹介は難しい

 私たちが生きてきたなかで何度もしてきた、そしておそらくこれからも何度もしていく自己紹介。たかが自分について話すだけなのだが、それが意外と難しい。
 例えば、大学の授業で新しく知り合った人に自己紹介するとき、私は自分の学部やコースを伝える。あるいは、学問的な関心なんかも付け加える。大学の名前はわざわざ言わないし、好きな食べ物も伝えない。
 その一方で、サークルの後輩に自己紹介するときは、学年とサークルでの所属とかこれまでしてきたことを話すのだろう。インカレであれば大学の名前も言うだろうし、もしかしたら好きな食べ物も伝えるかもしれない。
 大学でもサークルでもない、外部の大人と出会う機会もある。そういうときは、むしろ大学名こそが自己紹介の肝となるだろう。出会い方によっては学んでいることを自己紹介で話すし、別の出会い方であればサークルでしていることを話すかもしれない。大概の場合、好きな食べ物は伝えない気がする。
 自己紹介は、誰に、どこで、何のためにするかによって、話す内容も話し方も大きく変わってしまうものだ。自己紹介って、当たり前のようでいて意外と難しい。

ある大学の教室から始まる

 だから、今回このブログで自己紹介するのにも、一度状況を設定しておきたい。こういうときの自己紹介という体で話します、と宣言しないとどうにも筆が進まない気がしたからだ。
 そこで、一番最初に出した例——大学の授業における自己紹介をここでしてみようと思う。大学では、新学期になるとだいたい初回授業で参加者の自己紹介の時間が取られる。もちろん、1人1人がそんなに長く話す時間があるわけではないから、短く簡潔に自分について紹介することがそこでは求められている。だから、私はだいたい次のような自己紹介をしていた。

「(東京大学*)教養学部教養学科超域文化科学分科現代思想コース4年の青木門斗です。ケアとか対話とか、居場所とかに関心を持っています。よろしくお願いします」
*大学名は普段はわざわざ大学内で言わないが、ここではわかりやすく付け足している。

 このあとに、その授業を受講する理由を付け加えるときもあるが、それはときによるので割愛。とにかく、これくらいの簡単な自己紹介で場を乗り切っていた。
 さて、こんな自己紹介で私がどんな人間か伝わるのだろうか。いや、おそらく伝わらない。
 では、もし「もっと話していいよ」と言われていたら、私は一体何を話していたのだろうか。「そんな短くなくていいから、なんで関心を持ったのかとか、語ってみてよ」と突っ込まれていたら、何を語りだしたのだろうか。この文章はそんな、大学の授業での自己紹介がもしもっと長く話す場だったのなら、私はどんな自己紹介をしたのだろうか、という私の実験である。

第14期服部奨学生/青木門斗

対話という関心

 さて、冒頭の自己紹介に対して、質問が次々と飛んでくるような気がする。
「なんでケアとか対話とか居場所とかに関心を持っているんですか?」
「なぜその3つの関心で、『現代思想』コースにいるのですか?」
どちらももっともな疑問で、これらに答えなくては私は自己紹介をできたことにならないだろう。そして不思議なことに、それに答えるためには、私は大学1年生のときの課外活動から話を始めなければならない。
 大学1年次、私は大学のある学生団体に入った。それは、高校生に対話イベントを提供する団体だった。元々その団体は、3泊4日で大学生と高校生が対話をするキャンプを企画していたが、コロナの影響でオンラインイベントを開催することになった。
 入った理由は様々だった。コロナ禍のなかでいち早くオンラインでの新歓をやっていたとか、先輩方の雰囲気がよかったとか、対話自体がそれなりに面白かったとか。とにかく、私はその団体で対話イベントを企画するようになっていった。
「性格が似ている人と似ていない人、どちらと仲良くなりたいか」
「どんなときに幸せだと感じるか」
こういった、自分の内面と出会うような問いを準備し、対話を活性化するためのワークショップを試行し、対話でのファシリテーションを練習し、そして実際に高校生と対話をした。元々対面用につくられた対話プログラムを、オンラインでも開催できるよう考えて、どんな対話を届けたいのか考えて、そのために自分はどんなファシリテーションができるのか考えた。ひたすら対話のことを考え、対話を届けるべく準備をする、そんな1年生の日々を送っていた。
 言うまでもなく、私の「対話」への関心はここでの活動から出発している。対話とはいったい何か。対話はどうすれば実現するのか。目の前の具体的な問題として、こうした問いに常に私は直面していた。(そして必然的であったのか、これらの問いは、私がいま卒論の問いとして向き合っている問いにほかならない。)

居場所という関心

 残りの2つのキーワードであるケアと居場所は、もう少し後の大学2年生になって私の関心を形成した要素だった。
 居場所から見ていこう。イベントの企画を頑張りつつ、授業もしっかり受けていた私は、カリキュラムの都合上大学2年生の春学期は週3日が全休となった。余裕のできた私は、対面で参加できる活動をしようと思い立ち、東京都内にある中高生向けの公共施設にてボランティア活動を始めた。そして、そこでの活動で出会ったのが、「居場所」というキーワードだった。その施設は、中高生のための居場所を謳っていた。
 元々、そこで活動をはじめたのは、自分がそれまでもっていた対話への関心とどこかつながりを感じたからだった。いつ来てもスタッフがいて、中高生はスタッフと話をすることができる。そのなかで、自分のやりたいことを聞いてもらえる。居心地よく感じ、挑戦の背中も押してもらえる。そんな空間だった。
 居場所とはどのような場所か。居場所では何が起きるのか。居場所はどうやってつくられるか。あるいは、つくるようなものではないのか。私の関心はまたもや掻き立てられ、結局今に至るまでそこでの活動は続いている。

ケアという関心

 いまや、2つの課外活動を通して、対話と居場所という関心が出揃った。ところで、こうした課外活動が、教育という関心に回収されなかったことを疑問に思う人もいるかもしれない。どちらも中高生への働きかけであり、教育に興味がある人に見えなくもない。そしてそうであれば、なぜ私が教育学部にいないのかという疑問も湧いてくる。最初に投げられた質問「なぜその3つの関心で、『現代思想』コースにいるのですか?」にも、そろそろ私は答えなくてはならないだろう。
 それら全てに答えるには、最後のキーワード——ケアのことを話さなくてはならない。この単語は、3つのなかで唯一、課外活動実践に由来する語ではない。本から拾いあげたものだ。
 松嶋健「ケアと共同性——個人主義を超えて」という文献が、その出会いの場である。この文章は、松村圭一郎ほか編『文化人類学の思考法』に収録されている。この文献で、「ケア」という概念が描き出す世界があることを知った。そこから、ケアの倫理と呼ばれる学術領域を自分で学ぶようにもなった。そうして少しずつ、私はケアの世界に触れ、惹かれるようになっていった。

思想という方法

 「ケア」の世界は、どこか「対話」の世界や「居場所」の世界と響き合っているように感じた。3つのキーワードは、重なり合う概念であった。本から拾いあげたケア、イベント企画で直面した対話、施設で出会った居場所、これら3つの概念の共振に私は触れることができた
 だから、私は1つのキーワードを宣言するのではなく、3つのキーワードを並べているのだろう。そして、だからこそ私は哲学に、思想に頼っているのだろう。対話や居場所の個別事象を超えて、対話や居場所の概念を考える、それもその概念がケア概念と共鳴するような瞬間を聞き取ることを私は志していた。
 ケアとか、対話とか、居場所とか。どれも最近流行りの言葉だ。その重要性は大いに訴えられてきて、いまでは「そんなのどうでもいい」と言う方が難しいくらいの言葉になっているだろう。
 しかし、それらがいったい何を指すような言葉なのか分かっている人は果たしてどれほどいるのだろうか。なんでもケアやら対話やら居場所やら、その言葉を使いさえすれば許されるような免罪符になっていないだろうか。マジックワードに成り下がってはいないだろうか。
 だからこそ、概念を研ぎ直さないといけない。手垢のついた概念を、思想を用いて洗練しなおすこと。それが、私が現代思想コースという学部に進んでやりたかったことだった。ケア・対話・居場所という3つの概念が響き合うところに何を見出せるのか。それぞれの概念は、どのような強みをもち、どのような脆さを持つのか。それこそが私の学部時代の問いに他ならない。

再び大学の教室に戻る

 さて、これは自己紹介になっているのだろうか。私が話したいことをだらだらと話しただけになってはいないだろうか。そんな恐れを抱きつつ、言いたいことを言いきって私は妙な満足感を抱いている。
 ひとつ言えるのは、やはり自己紹介には長すぎるものになったということだろう。きっとこれだから、授業の初回での自己紹介は短くしているのだろう。全員がこうも長々と話している時間はないだろうから。
 一方で、他の受講生全員のこうしたバックグラウンドを聞けたら、さぞそれは面白いことだろうとも思う。「長々と自己紹介をする」という実験は意外にも面白いのかもしれない。


* 服部国際奨学財団では、国籍・専門分野を問わず、社会的課題に強い関心と問題意識を持ち、その解決を目指した学修・研究に取り組む学生、また、経済的理由により修学が困難な学生に対して、月額10万円の給付型奨学金による支援を行っています。新規奨学生募集情報は、noteブログ・公式HPで随時公開いたします。お問い合わせはHPのフォームより受け付けております。

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