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【服部奨学生研究発表】 栄養学を自身の健康に生かす鍵〜「〇〇がからだによい」の実態に迫る〜 【導入記事】

服部国際奨学財団では、現役服部奨学生やOBOG、役員理事の先生方が集まる公式行事の場で、奨学生による研究発表の場を設けています。今回は、3月17日 に開催される「2023年度服部奨学生修了式・第2回服部奨学生研究発表会」で研究内容を発表してもらう4名の服部奨学生に、それぞれ発表導入記事を執筆してもらいました。


はじめまして。14期春季服部奨学生、奈良女子大学大学院2年の澤村 悠|《はるか》です。学部時代は食物栄養学科にて管理栄養士と栄養教諭の資格を取得し、大学院では食医化学研究室にて「病気の治療・予防をを促す食品成分の探索」をテーマに研究していました。

研究室にて

皆さんは、「食と健康」というワードを耳にして、何を思い浮かべますか? 健康な身体を維持する上で、体に良いものを食べることが大切であることは誰しもが分かっているかと思います。一方で、健康によいものは美味しさに欠けるとか、手軽さ安さでついジャンクフードに手が伸びてしまうとか、自身の食生活を振り返ると、なかなか理想通りにはいかない現状が思い起こされるのではないでしょうか?健康に対する意識や知識レベルは、人によってかなり差があるものですし、知識があってもそれを活かせるかどうかは生活環境によっても変わってきます。今回の私の発表を通じて、この「食と健康」という幅広い概念について、向き合う機会となれば幸いです。


1.はじめに

私が食と健康に興味を持ったワケ

 私は、管理栄養士の資格が取れる学科に限って大学受験をしたほど、中高時代から栄養や健康に人一倍興味関心がありました。その背景として、私が中学1年の時に父親が激しい頭痛で突如入院し、くも膜下出血一歩手前で一命をとりとめた…という経験があります。父親は2週間ほどで退院しましたが、この件をきっかけに食事にとても気を遣うようになりました。

 しかし、その意識が向かった先は、巷に溢れる真実かわからない健康情報でした。例えば、「白い食べ物は毒だと本に書いてあった」と今まで常に家にあった牛乳や食パンが悪者にされたり、「加工肉は発がん性があるらしいからもう食べない」と、家の冷蔵庫から消えてなくなったりしました。

 食べることが大好きだった当時の私は、この状況にすごく疑問を感じ、自分なりに調べて親に反抗しようと試みたのですが、確かにネットにはいろんな情報が溢れていて、結局、自分でも何が真実なのかよく分からなくなってしまいました。この経験を機に、「正しい知識を身につけ、食を通じて、身の周りの人を健康にしたい」と強く思うようになり、管理栄養士を目指せる大学に進学することを決意しました。

病院実習で目の当たりにした現実

 大学入学後、1〜2年次は主に座学で「食と健康」について多角的に学びました。その上で学部3年時には、病院や学校などで臨地実習がありました。現場の管理栄養士の方、そして患者さんの栄養指導に立ち会う中で最も強く感じたことは、

「知識より、環境が大切なのかもしれない」

ということです。これまでは、どんな成分にどんな効果があるとか、どんな病気にはどんな食事が必要だとか、知識を得さえすれば人を健康にできると信じていた節がありました。もちろん管理栄養士という専門家にとって、知識は必要不可欠なものです。

 ただ、知識のある管理栄養士が行う患者さんへの栄養指導は、たいてい難航していました。例えば、今まで毎日のように揚げ物やお菓子を食べてきた糖尿病患者がいたとしましょう。その患者に「揚げ物は毎日食べないでください。お菓子は1日200kcalまでにしてください」と指導したところで、実際に急に食生活を変えられる人がどれほどいるでしょうか?

 また、夜勤や残業続きで、昼も夜も働く非正規労働者で、自由な時間などほとんどない高血圧症の患者さんがいたとします。その患者に「毎日コンビニやスーパーの惣菜ばかり食べることは食塩過多になるので健康に悪いです。やめましょう」と伝えたとして、その人の現状を実際に変えられるでしょうか?

 食事は、その人のこれまでの生き方や社会環境と密接に関わっています。国籍や宗教によっても、最適な食生活は異なります。食習慣を急に変えるというのは非常に難しいことですし、その人のバックグラウンドを知らずして現状を否定することは、あってはならないと思います。さらに、所得や学歴と健康との間には相関関係があり、健康格差が確実に存在するというのもまた事実です。

2.健康とは

 1948年に発効されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。

「健康とは、単に病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることを指す」

「世界保健憲章」より

この定義に照らして、皆さんは「自分自身は健康である」といえますか?

 健康という概念は、深く向き合えば向き合うほど、幅広く、奥深いテーマであり、多角的に考えるとさまざまな社会問題や学術領域と重なり合っていきます。今回の発表は、国籍や専攻が多岐に渡る服部奨学生に聞いていただけるということで、食品や体内の栄養学の話は少なめに、栄養学を個人や社会全体としての健康にどう落とし込んでいくのが正解なのか、お話したいと思っています。

3.健康食品が世に出回るまでの話

「〇〇がからだによい」ができるまで

 私はこの3年間、実験系の研究室に所属しており、ざっくりいうと健康食品の効果の裏付けとなるデータを創出することに寄与する実験を行なってきました。具体的な方法としては、どこか状態の悪い(病気の部分がある)モデルマウス作製し、通常食群、特定の食品成分を与える群に分けて飼育します。その後解剖を行い、血液や臓器など生体試料を採取して解析することで臨床データを得ます。通常食群と比較して、特定の食品成分を摂取していた群で、臨床データの結果が平常値に近づいていたら、その食品に病態を改善する効果が示唆されたということができます。これらを論文として世に出し、他研究グループなどから追加のデータが集まってくると、今度はヒトを対象とした実験が行われます。(食品に関しては動物実験なしに、いきなりヒトで行う場合も最近は増えています。)

 また、ヒトを対象とした研究においても、そのデザインによってエビデンスレベルには違いがあります。ヒトでの試験で有意差が認められると商品化していくことになりますが、薬と違って食品の機能性は弱いものであり、「〇〇に効果あり」と断言できるほどの結果は出にくい傾向があります。
しかし都合の良い部分だけが切り取られ「〇〇大学で効果が実証された機能性食品X」などと、発信力の強いマスメディアやインフルエンサーが紹介することで、これらが医師などの専門家を介さない一般向けの商品であることも相まって、人々の食行動に強いインパクトを与えてしまうのです。

健康情報とどう向き合うか?

 正直、一般の人がこれらの情報のエビデンスの確かさを判断するのは、至難の業だと私は思います。ただ全てを鵜呑みにしていると、当然ながら自身の健康診断の結果には何も改善はないのに、お金だけがかさみます。こうした状況は、健康に気を遣おうと自分なりに栄養学を学びはじめ、健康関連情報に触れる機会が多くなった人が陥りがちな罠だと思います。(数年前の私自身がそうだったように)

 もちろん、きちんとしたエビデンスをもって商品化されている健康食品(機能性表示食品や特定保健用食品)もありますが、いずれにせよ1つの商品によって健康問題(高血圧や肥満など)が解消されるとは思えません。特定の栄養素の効果で自身の健康問題をどうにかしよういう考えは改め、もっと全体のエネルギー摂取量やバランスに、目を向けてほしいと思います。

 これまでの栄養学の研究成果で得られた仮説を基に、ヒトの集団を対象に実証し健康関連の諸問題の解決に役立てる「行動栄養学」や「栄養疫学」については、当日の発表でお話しさせて頂きます。皆さんの健康リテラシーの向上に役立てば幸いです。

4.おわりに

 ここまで、「健康」という幅広い概念を「食」という観点から一部お話しさせていただきました。当日は、専攻・国籍の異なるメンバーから、さまざまな切り口でのご意見・ご質問等いただけることを楽しみにしています。

 また今回、服部奨学生として「2023年度服部奨学生修了式・第2回服部奨学生研究発表会」での発表機会を頂くことができましたこと、非常に嬉しく思います。研究のみならず、私がこの6年間で学んできたことの集大成として、皆さんに興味関心を抱いていただけるような発表にしたいと思っています。

 そして私は今季で、服部国際奨学財団を卒業することになります。大学院での2年間は、財政面、精神面ともに、この財団にどれほど救われたことかと思います。研究・就職活動・アルバイトに追われ、このままでは何一つ中途半端に終わってしまうと絶望していた大学院入学当初を思い出すと、感謝してもしきれません。本当に、ありがとうございます。

 これからもいい報告で財団に帰ってこれるよう、邁進していきたいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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