見出し画像

「名言との対話」3月30日。蟹江敬三「どんな役でもやれるけど、でも、何をやっても「蟹江らしいね」と言われる俳優。そんな存在を目指して、この40年間やってきたつもりです」

蟹江 敬三(かにえ けいぞう、1944年10月28日 - 2014年3月30日)は、日本俳優ナレーター。享年69。

子どもの頃は自閉症気味で赤面症もありおとなしかったのだが工業高校の文化祭でたまたま芝居をやって目が開き役者の道を歩むことになる。

日活ロマンポルノで「強姦の美学」とまで言われた野性的な演技が話題になった。演技のうまさには定評があり、NHK大河ドラマにも数多く出演している。「勝海舟」の学友・田辺。「春の波濤」の幸徳秋水。「炎立つ吉彦秀武。「葵 徳川三代」の福島正則。「龍馬伝」の岩崎弥太郎。そして、朝の連続テレビ小説あまちゃん」の天野アキの祖父でもいい仕事をした。私もその一人だが、こういう番組で蟹江の演技を覚えている人も多いだろう。

当初は悪役が多く、子どもはいじめられたそうだ。蟹江は「ごめんな、パパが悪役で。でもこれが俺の仕事だ。お前たちは俺が守る」と言っている。そして後半は、刑事役などが多くなり善人役へ転身している。その息子の一平は今風なイケメンの俳優になって活躍中だ。

蟹江は「役には良い役も悪い役もない。面白い役かつまらない役かだけだ」として、「ひたむき」をモットーに演じていた。盟友であり厳しく演技を要求する演出家・蜷川幸雄は「蟹江の芝居に注文を付けたことは一度もない」「蟹江となら、心中してもいいと思った」と全幅の信頼を置いていた。「どうやって監督を裏切るか」を考え、工夫をしていた結果だろう。

名脇役だったが、「自分が出るシーンは自分が主役」と考えていた。「役は『作る』ものではなく『なる』もの」という信念だった。そのためには「まずは相手のセリフをよく聞く」ことから始めている。

脇役とは能楽の主人公を引き立てる役の「ワキ」からでた言葉だ。脇役という存在は、名前は定かではないが、いろんなところに出ている、という印象を与える俳優たちだ。

たとえば、「半沢直樹」の香川照之、「孤独のグルメ」の松重豊。ミステリアスな演技の柄本佑、「踊る大捜査線」稲葉敏郎。「わたしの脇役人生」というエッセイを書いた澤村貞子もいる。これらの名脇役たちの特徴は、出演作品の多さだ。圧倒的に仕事量が多いことだ。多々良純の出演作リストがどこまでも続いていて驚いたこともある。

左卜全千秋実小松方正根上淳、谷敬。主役から転じて母親役として脇役に転じた田中絹代。反対に脇役から主役に転じた森光子。

名脇役から後に、「水戸黄門」で主役として有名になった東野英治郎は、後年になって脇役が増えた平幹二郎に「芝居は主役が芯をとってリードする。その流れている芝居のテンポに沿って、自分の役を作っていかなきゃいけない」とアドバイスをしている。

蟹江敬三は「 どんな役でもやれるけど、でも、何をやっても「蟹江らしいね」と言われる俳優。そんな存在を目指して、この40年間やってきたつもりです」と語っているように、人がつけるレッテルからかけ離れた存在になろうとしていたのだ。蟹江敬三は、そのとおり「蟹江らしい」俳優になったのではないか。

この俳優哲学には私も共感する。長い仕事人生では、脇役の期間が長いし、大小にかかわらず主役である期間もある。突っ走る、守りを固める、臨機応変、突破力、、、、。個性的な人は、あの人らしい仕事をしたね、と言われる。その結果が「あの人」になる。どのような役がまわてきても、結局はその人らしい仕事になるのだ。

主役か脇役かにかかわらず、蟹江がいうように、「自分が出るシーンは自分が主役」という意識が、いい仕事をする条件だろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?