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天空につながる赤トンボの群れ(お盆の思い出)


お盆の思い出

お盆と言えば、思い出すのは団らんの風景。それは、母方の祖父母宅へ親戚一同が集合していたあの時間のことだ。

40代の僕の両親の世代は兄弟姉妹が多くて、父方で6名、母方で5名。となると、その子らは1‐3名としても、母方だけでもいとこは5名以上集まることになる。

当時未婚の叔父もいたけれど、祖父母両親親戚一同合わせて12,3名が、北海道の片田舎、それも山奥にある祖父母宅に集っていたのだ。

僕を含めた子供たちが思春期を迎えるまでの、5,6年ほど、その大勢の集まりは続いていた。あの時期を思い返すと、ただただ何でもないことの積み重ねだったと思う。

周囲に家はなく、隣まで車で10分程度という、ザ・北海道な場所。畑もあり、小川もあり、原っぱもあり、、。

おもちゃのバットで野球ゲームをしたり、小川で沢蟹をさがしたり、蛇と遭遇したり(屋根裏を這っている音がよく聞こえたし、軒下でしっぽが見えていたこともある)、叔父が木をゆすって落ちてきたクワガタを捕まえたり、ボードゲームをしたり、昼寝したり、。。

何でもない時間がたくさんあったのだと思う。

何でもないことの積み重ねだったあの時間が、かけがえのない思い出になっていく。

思い出とは、不思議なものだ。

そんな何でもない日常の中で、特に印象的だったことがある。

それは、あるお盆の日に遭遇した赤とんぼの群れだ。

赤トンボの群れ

その年の夏は、北海道にしては暑かったように記憶している。お盆の日も、いわゆるピーカン照りで、抜けるような青い空が、山の稜線のはるか向こうにまで続いていた。雲は高く、空も高く、太陽の光が差し込むのが見えるような、そんな日だった。

お盆とはいえ、法要は午前には済み、午後には圧倒的な自由時間が待ち構えている。親戚一同、スイカなどを食べ、ごろ寝。その日は、時間ものんびりと過ぎていった。

ごろ寝をしながら仏壇を見る。線香の煙が立ち上っている。静かにのんびりと。お盆には先祖が帰ってきて、そして、またあの世に戻っていく日だと、と祖母が語っていたのを思い出しながら、その線香の煙を追っていた。

いつの間にか、眠りに入ってしまい、起きたときは、まだ明るかったがすでに夕刻近いようだった。親類たちはTVを見たり、本を読んだり、思い思いの時間を過ごしている。

ふと、外に出たくなった。蚊取り線香を玄関先に置き、外の空気を吸う。小川の方に歩き出したその時、向こうから連なってくる電線に何かがとまっているのを見つけた。

何かがとまっている。それはトンボだった。赤トンボだろうか。電線にびっしりと。

なにか、惹かれるものがあり、その電線の方へ歩いていき、電線を見上げた。

すると。

赤トンボの群れがあった。電線をはるかに超えて、あの雲に届きそうな勢いで、赤トンボが天空を舞っていた。天を覆いつくすように、思いのままに飛んでいる赤トンボ。それは、やや赤みを増してはいたが、まだ青く高い空の彼方まで続いていた。

傍らの石を拾って、空に向かって投げたなら、トンボにあたってしまうような気すらした。

僕は、その風景をただただ、ぼんやりと眺めていた。日が陰り、赤みが灰色に変わり、やがて闇が迫るまで。

あの日のことを振り返ってみて思うのだ。

あの群れは、もしかすると、天と地をつなぐために、遣わされたのかもしれないと。天から地へと祖先の魂を連れてきて、そして今度は地から天へと魂を還すために。

あの日以降も、その風景を何度も眺めていたと思う。そのはずなのだが、それは日常の何気ない、記憶されなかった日々の中に紛れ込んでしまっている。

唯一、思い起こすことができるのは、あのお盆の時期に遭遇した、天空へと連なっていく赤トンボの群れだけなのだ。

それは、あの何気ない日常の積み重ねの中の、印象深い思い出として今でも心に残っている。


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